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【偏差値77】開成高等学校
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開成中学校・高等学校(かいせいちゅうがっこう・こうとうがっこう、英語名:Kaisei Junior & Senior High School)は、東京都荒川区西日暮里四丁目にある私立中学校・高等学校。中高一貫制男子校。
概要 1学年の生徒数は中学300名、高校400名となっている。 「開成」を冠する学校は他にも多数存在するが、本稿で取り上げる開成学園の学校と歴史上関係がある学校は逗子開成中学校・高等学校に限られる(下記参照)。 校風は質実剛健。運動会・水泳学校・ボートレース・マラソン大会などの硬派な行事が開成の特徴を表わしている。
東京大学合格者数が29年連続で日本トップ(1982年 - 2010年)であり、日本屈指の名門校として取り上げられることが多い。私立大学では慶應義塾大学医学部の合格者数が、戦後の新学制が始まって以来トップから漏れたことがない。現役生はほとんど私立大学に進学せず、国立大学志向・医学部志向が強い。約50%程度の卒業生が毎年東大へ進学する。
初代校長は元総理大臣・大蔵大臣の高橋是清。
沿革 1871年、佐野鼎らによって神田相生橋(現 神田淡路町)に共立学校(きょうりゅう がっこう)として創立された。佐野の死後には廃校同様となったが、1878年に大学予備門教授の傍ら高橋是清が校長、鈴木智雄らが講師に就任した。共立学校を大学予備門への進学者のための受験予備校として改革し、是清が校長に就任した翌年の1879年には、共立学校からの大学予備門入学者が定員466名のところ、実に112名に達した。以降も、東京英語学校(現・日本学園中・高)や成立学舎などと共に、一高への合格者数上位校として知られていた[1][2]。
1886年及び1891年の中学校令公布により、1府県1中学以上と定められたことで、東京に受験生が集まらなくなった私立各校は軒並み経営が傾いた。そのためもあって1891年の尋常中学校令により尋常中学共立学校と改組・改称。さらに、当時官公立校に対してだけ認められていた在学生に対する徴兵猶予や校地に対する免税、卒業生の判任官任用などの特権を得る便法としての有利な条件も働き、数多ある私学のうち、まず共立中学(現・都立戸山高校)が、次いで共立学校(開成)が東京府の管轄下に入り、1895年にはそれぞれ東京府城北尋常中学校、東京府開成尋常中学校と改称した。このとき、校名が「共立学校」から「開成」となったのは、東京府当局が「共立」と「府立」は相容れないとして難色を示したためだとされている[3][1]。さらに中学校令改正により1899年に東京府開成中学校と改称。
まもなく各種特権が私学にも与えられるようになったこともあって、1901年に府の管轄から私立へ復して私立東京開成中学校となり、1919年に東京開成中学校と改称。1903年には開成夜学校を併設。1945年には戦局悪化のため、無試験入学となる。翌1946年には入学試験が再開されるが、筆記試験が復活するのは1953年のことであった。戦後、学制改革により、1947年に新制中学校(開成中学校)が発足し、1948年には新制高等学校(開成高等学校)が併設され、旧制5年制中学から新制6年制中高一貫の開成中学校・高等学校へ移行し現在に至る。
また、現在の道灌山の校地に移転したのは、関東大震災により淡路町校舎が消失した1924年のこと[4]。1920年に初めて行われた東京高師附属中学校(現・筑波大附属中・高)とのボートレースは現在も行われている。
校風・特徴 学校の方針に基づき、行事や部活動の運営・管理は生徒に任せられる。特に運動会や文化祭においては教員が行うことはほとんどない。
高3の運動会を終えて本格的な受験勉強を始めるという生徒が大半で、学校側もそれに合ったカリキュラムを組んでいる。
運動会では中1から高2までをすべて高3が指導するので、入学当初から常に上下関係を重んじる体質となっている。
アクセス JR山手線・地下鉄千代田線西日暮里駅より約100m(徒歩1分) 東京都交通局日暮里・舎人ライナー西日暮里駅より約300m(徒歩4分) 東京都交通局・都営バス草63系統・里48系統西日暮里駅バス停 西日暮里駅の開業以前(営団地下鉄は1969年、国鉄は1971年)には国鉄田端駅(約800m)と国鉄・京成電鉄日暮里駅(約900m)が最寄り駅だった。
ボートレース 1920年以来、毎年4月にボート部の部員により戸田漕艇場にて開成と筑波大学附属高等学校のボートレースが行われている。現在の種目は舵手付きクォドルプル(両手漕ぎ四人乗り)である。通算成績は開成の40勝42敗であり、8年ぶりに勝利した。(2010年現在)[要出典]。
運動会 例年5月の第2日曜日に行われる、開成最大のイベント。生徒運営の「運動会準備委員会」、「運動会審判団」、「運動会審議会」のもと、高3が中心となって例年丸一年をかけて創り上げられる。中高合同で行われ、高校はクラスごと、中学は各クラス5・6人ずつ縦割りで8つの色(赤・青・黄・橙・白・黒・紫・緑)に分ける(中学は7クラスのため)。各組の運営は高3に委ねられ、下級生の指導も高3が行う。
水泳学校 毎年7月、水泳部の合宿と合同で行われ、千葉県館山市の施設に中1が全員参加する。同水泳部は日本泳法の水府流太田派を継承している。
文化祭 毎年9月の第4土曜日と第4日曜日に開催され、「開成祭」とも呼ばれる。生徒運営による「文化祭準備委員会」の下、文化系の各部や同好会・サークル、有志などが参加し、日頃の研究成果の発表やパフォーマンスなどが行われる。また、運営本部による古本市も開催され、教職員などが本を寄付する。入場制限はない。
生徒は高2の文化祭を最後に部・サークル活動を引退する。高3は文化祭への参加は任意であるが、参加しないのが慣例となっている。
マラソン大会 荒川河川敷を利用して行われる。1903年に始まり、初めは中山道を経由して巣鴨?大宮間で行われていた。その後、江戸川河川敷など何回かのコース変更を経て、現行のコースとなった。距離は中1が5km、中2・3が6km、高校生は8kmである。
部活動・個人活動 学内には約50の公式部、および15を超える同好会がある。運動部は運動会で利用される土の第2グラウンドや小体育館、小講堂、大体育館、テニスコートなどで活動する。硬式野球部では、2005年夏の全国高等学校野球選手権大会で東東京大会のベスト16に入った[5]。
文化部では全国大会で優秀な成績を収める例がある。俳句部は、俳句甲子園として知られる「全国高校俳句選手権大会」で好成績を収めている。また、国際数学オリンピックや国際化学オリンピックなど、高校生(中学生)を対象とした理数系の国際競技大会に、同校の生徒が日本代表として派遣され、好成績を収める例がある。近年では、日本テレビ系の「全国高等学校クイズ選手権」でも第30回(2010年)の優勝を筆頭に優秀な成績を修めている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値77】筑波大学附属駒場高校
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筑波大学附属駒場中学校・高等学校(つくばだいがくふぞくこまばちゅうがっこう・こうとうがっこう、Junior and Senior High School at Komaba, University of Tsukuba)は、東京都世田谷区池尻四丁目にある国立中学校・高等学校。中高一貫制男子校。通称は「筑駒」(つくこま)。
概要 1947年に、旧制東京農業教育専門学校の附属(新制)中学校として設立された国立の進学校。その後、1952年に東京教育大学附属駒場中学校・高等学校と改称した。国立の中学校・高等学校では唯一の男子校でもある。筑波大学の附属校であるが、同大学への特別な内部進学枠は有していない。
東京大学と医学部への高い合格率と共に、私服校で校則はなく、「駒場の自由」「六年間の自由空間」[1]といった言葉で語られる自由な校風で知られる。また、伝統としてかつて駒場農学校のあった場所で、水田における稲作実習を実施している。現在は、文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けている。すぐ傍に私立男子校の駒場東邦中学校・高等学校がある。
中学入試の偏差値や東大合格率では、開成中学校、麻布中学校を上回り、首都圏の最難関である。
アクセス 京王井の頭線駒場東大前駅より徒歩10分 東急田園都市線池尻大橋駅より徒歩15分
部活動・同好会 各種の活動も盛んで囲碁、クイズなどではしばしば全国制覇を果たしている。1998年に第18回全国高等学校クイズ選手権で全国制覇を達成した。駒場棋院(囲碁部)は2003 - 2005年に全国大会3連覇を果たしている。数学オリンピックの日本代表として活躍する在校生も多く、2005年度には日本代表6人中5人を在校生が占めた。日本が初参加となった2005年生物学オリンピック北京大会も代表2人のうち1人が在校生で銅メダルを獲得。全国高校化学グランプリでも大賞を含め多数の入賞者を出し、2005年はスーパーコンピュータのプログラミングを競うスパコンで優勝、3位入賞を果たすなど、各方面の大会で成果を挙げている。また、2005年、TBS系列で放映されたテレビ番組「学校へ行こう!MAX」での企画「文舞両道フリツケ甲子園(2005年9月6日O.A.)」において、有志がダンスユニット「筑6」を結成。出場校6校の中から優勝校に選ばれた。
関連学校 筑波大学 筑波大学附属小学校 筑波大学附属中学校・高等学校 筑波大学附属坂戸高等学校 筑波大学附属視覚特別支援学校 筑波大学附属聴覚特別支援学校 筑波大学附属大塚特別支援学校(知的障害) 筑波大学附属桐が丘特別支援学校(肢体不自由) 筑波大学附属久里浜特別支援学校(自閉症)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値76】筑波大学附属高校
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筑波大学附属中学校・高等学校(つくばだいがくふぞくちゅうがっこう・こうとうがっこう、Junior and Senior High School at Otsuka, University of Tsukuba)は、東京都文京区大塚一丁目にある国立中学校・高等学校。通称は「筑附」(つくふ)、「附属」。
概要 1888年(明治21年)に高等師範学校(官立)の尋常中学科として昌平黌跡に設立されて以来、120年以上の歴史を有する首都圏有数の進学校。
創立時から旧制第一高等学校への進学者数上位校として名高く、戦後においても都立全盛の頃より、東京大学合格者数上位十傑に名を連ねる常連である。
中学校、高校ともに入学を受け入れている。また、中学と高校は完全な中高一貫ではなく、内部試験(一般入試とは異なる)があり、男女ともども80%ずつが進学できる。附属校であるが、筑波大学への特別な内部進学枠は存在していない。
中学校には制服があり、男子は、明治期創設の学習院中・高等科と似た、海軍兵学校(現・海上自衛隊幹部候補生学校)学生服型(ネイビーブルー。セーラー服同様に着丈が短く、詰襟で前合わせもホック留め、前合わせ・襟・袖に黒の蛇腹リボン装飾の上着。昔の海軍士官型でもある。日本海海戦の写真参照。同型は巣鴨中学校・高等学校が採用)、女子はセーラー服である。男子制服には帽子も付帯し、古い時代には登下校時、校門守衛所を通る際に脱帽し、帽子を脇に抱えて礼をするなどの着用義務があったが、現在は随意である。
高校もかつては中学と同じ制服を使用したが、1970年(昭和45年)2月に生徒自治会および教員委員会の決定によって服装既定が廃止され、現在は私服である。
中学は「強く、正しく、朗らかに」を、高校は「自主、自律、自由」をそれぞれモットーにおく。 そのモットー通り、昭和の一時期まではオートバイや自動車での通学も許可されていた。
現役生は、自校のことを「筑附」・「筑波」と称するが、各界で活躍している卒業生は、まだ東京教育大学附属高等学校時代の人が多いこともあり、卒業すると、単に「附属」と呼ぶことが多い。高校では現役生・卒業生ともに、何回生かで自己紹介をする。在学する三年間クラス替えは行われないので「○○回の○組」で通じる。また、卒業生は、「○○回」ということで、卒業年度を表す。
2010年度の高校1年生は「121回生」、高校3年生は「119回生」である。 2008年10月10日には、創立120周年記念式典が催された。
高等学校 1896年より毎年6月の第一土曜日に行われている、学習院高等科および学習院女子高等科との総合定期戦は、筑附では「院戦」、学習院では「附属戦」の名で親しまれている。(但しボート競技は4?5月に行われる。)
また、1920年に初めて行われた東京開成中学校(現・開成中・高)とのボートレース(通称「開成レース」)は、現在も毎年戸田漕艇場で行われ、日本で最も歴史を持つ対校ボートレースである(2010年現在、附属が42勝40敗と勝ち越している)。他に伝統的な対校戦としては、戦前から行なわれている対神奈川県立湘南高等学校サッカ?部定期戦もある。
野球では、校名が東京高等師範学校附属中学校であった1946年(昭和21年)、第28回全国中等学校野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会-夏の甲子園)に、それまで私学が独占していた東京代表の座を国・公立として初めて奪い、出場しベスト4まで勝ち進んだ(さらに同年の国体でも準優勝している)。 準決勝で浪華商業に敗れた際、監督が「さあ、5年生(最上級生)はいいから、他は自分のポジションへ行って土を取ってこい。来年、またここへ返しに来よう」と言い、選手らが各ポジションの土を手ぬぐいに包んで持ち帰ったことが、この大会で敗れた高校が甲子園の土を持って帰ることのルーツとなっている。
また、毎年9月には2010年度で54回目を迎えた文化祭、「桐陰祭」が2日間に渡り開催される(ひとつの節目であった2006年度第50回桐陰祭のサイトはこちら…各局紹介、写真等)。1999年9月11・12日実施の第43回桐陰祭より、校舎の壁には毎年全校生徒で作り上げるモザイクアートが掲げられる。初回のモザイクアート(タイタニック)と初実施に関する桐陰祭実行委員企画局局長のレポートはこちら。
1年次の夏には長野県の蓼科高原(立科町)にある、高校所有の「桐陰寮」へクラスごとに3泊4日の合宿に行き、蓼科山に登る。
2年次の11月に行われる修学旅行の行き先は、大体京都または沖縄である。2007年度は、同校史上初のシンガポールへの海外修学旅行となった。2008、2009年度はまた沖縄になっている。
また、中華人民共和国の北京高校やシンガポールのホアチョン高校との短期交換留学も毎年行われている。
施設 空撮による中学校・高等学校施設の全景施設は主に高校校舎・中学校舎、体育館、運動場・コート面、プール、武道館などからなる。 高校校舎は、噴水のある中庭を持ったコの字型の3階建てとなっている。また、2003年度に情報実習室完成・空調設備設置。2005年度に校舎のバリアフリー化として多機能付トイレやスロープ、エレベーターを設置した。 敷地内(体育館前)に標高27.47mの三等三角点を持つ。
最寄駅 東京地下鉄有楽町線護国寺駅徒歩7分 東京地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅徒歩10分
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【偏差値76】東京学芸大学附属高校
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東京学芸大学附属高等学校(とうきょうがくげいだいがくふぞくこうとうがっこう)は、東京都世田谷区下馬にある国立高等学校。通称「附高(ふこう)」、「学附(がくふ・がくつき)」。
概要 首都圏有数の進学実績を誇り、東大合格者数上位十傑に毎年名を連ねる。2004年4月をもって東京学芸大学教育学部附属高等学校から現在の名称に変更された。附属校であるが、東京学芸大学附属世田谷・竹早・小金井の各中学校生徒は、内部生用の入試を受験する。これは、附属中学卒業生のおよそ3分の1しか合格しない。その他は、高等学校が外部から一般入試で入学させている。また、東京学芸大学への内部進学制度は一切ない。
東京学芸大学附属高等学校大泉校舎があるが、本校との交流は全くない。
クラス 1クラス45人編成で、A組からH組までの8クラス(360人)×3学年の24クラス(1,080人)が定員となっている。
1クラスには前述した3つの附属中学校からの内部進学者と外部進学者、さらには帰国子女(一学年に15人程度)とタイからの留学生(一学年に1?5人程度)が混ざって構成される。学区や通学区域の制限は無く、全国から入学者を受け入れている。
設備 戦前の青山師範の敷地の一部と建物をそのまま用いている。このため校内は非常に広く、大きなグラウンドが2つ(大グラウンド・芝グラウンド※現在は芝はない)と体育館が3つ(大体育館・小体育館・柔道場)、さらにはそれらとは別に講堂、西館、別館がある。L字型の校舎は、青山師範の校舎そのままの歴史的建造物で、テレビドラマや映画の撮影に使用されることもある。正門から昇降口までは見事な銀杏並木が並んでいる。季節を通して美しい並木の様子から「ロマンス街道」と呼ばれている。
遠距離通学の生徒や下宿生が多いにもかかわらず校内に食堂がない。
国内の高校としてはかなり早い時期にコンピュータ教育を取り入れており、アップル社のHPでは、その授業風景が特集されている。
教育 文理の教科選択は3年生からであり、2年生までは文理を問わず社会科や理科を幅広く履修する。授業の内容は一応教育課程と教科書に沿ってはいるが、多くの教科は教科書の水準を質量共に上回る発展的な授業を展開する。大学入試をまったく意識していない訳ではないが、入試対策は授業では殆ど行われない。このため、難関大学を志望する生徒は、予備校・塾に通うことが必須となる。
制服 本校では、制服着用義務が生徒に課せられている。
冬服は、制定されてから半世紀間不変の伝統あるデザインとなっている。 男子の上着は紺色の学生服に銀色のボタン、詰襟の左襟には泰山木の花をかたどった大きい銀の校章バッジをつけ、白いプラスチックのカラーを入れる。女子の上着は身頃・襟とも紺のセーラー服に紺色の3本ラインとなっており、襟には男子と同じデザインの校章バッジと胸当てをつけ、青いスカーフを、スカーフの両端にプリーツを折ってから結ぶ、蛾結びと呼ばれる独特の型で結ぶ。ズボンとスカートは、共布の紺色である。
6月-9月は夏服期間である。男子は、グレーのズボン、胸ポケットに校章バッジをつけた白いワイシャツ、また女子は、校章バッジをつけた紺の襟に白い身頃、紺の3本ラインのセーラー服になる。
創立当初は制帽着用も義務で、服装指導は厳しかった。 激しかった高校紛争で制服そのものは廃止されなかったが、そこで勝ち得た自由の主体的表現として、70年代にほぼ全員の男子生徒が制帽をかぶらなくなり、上着の襟元を開けた。 1990年代半ばに「制撤会」が制服自由化運動を展開したことがあったが立ち消え、以来制服は、附高の誇りとして生徒の間に定着している。
通学路 最寄り駅は、東横線学芸大学駅。駅前の交番には本校までの地図が常備されているほど、道順は複雑である。 田園都市線三軒茶屋駅からも歩けるが、渋谷駅での乗り換えの便などから田園都市線沿線の生徒以外は殆どが学芸大学駅から通学している。 なお、渋谷駅南口から学芸大学付属高校の前まで東急バス(野沢龍雲寺循環)が出ている。
また学区制限がないこと、帰国子女を受け入れていることから、近隣で一人暮らしをしている生徒も存在する。
進路 上述の通り附属校ながら東京学芸大学への内部入試制度はなく、一般入試で進学している。東京大学、一橋大学、東京工業大学、東京医科歯科大学、京都大学といった難関国公立大学に毎年数多くの合格者を輩出する他、慶應義塾大学、早稲田大学などの難関私立大学にも強い。
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【偏差値75】慶応義塾志木高校
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慶應義塾志木高等学校(けいおうぎじゅくしきこうとうがっこう 英語名: Keio Shiki Boys' Senior High School)は、埼玉県志木市本町四丁目にある私立高等学校。
学校法人慶應義塾が設置する男子校。1学年6クラスで計約250名、全校生徒数は約750名である。高校受験では一般約190名、自己推薦約40名を募集しており、これに内部進学者が加わる。卒業後、原則として無試験で慶應義塾大学に進学できる。略称は「志木高(しきこう)」(主に塾内での呼称)、「慶應志木(けいおうしき)」。
略歴 [編集] 松永安左ェ門君像1944年、慶大日吉キャンパス内に慶應義塾獣医畜産専門学校が開設された。当初は大学農学部を置く予定であったが、戦時下における政府の方針などから専門学校に縮小された経緯がある。翌年の敗戦後はアメリカ軍により日吉キャンパスが接収されたため、川崎市蟹ヶ谷の旧海軍東京通信隊の施設を借用して授業を再開したが、1947年、塾員松永安左エ門より寄贈された埼玉県志木の現校地(旧・東邦電力の東邦産業研究所が置かれていた)に移転した。1948年、学制改革により慶應義塾農業高等学校に転換、1957年には普通科高校に転換し、現在に至る。その際系列大学への無試験進学が認められるようになった。
教育方針 教育方針は以下の4項目である。
塾生としての誇りを持たせること 基礎的な学問の習得 個性と能力をのばす教育 健康を積極的に増進させること
校風 校則が無く自由な校風である。例えば、制服は定められているが普段の服装は自由(系列校では他に中等部が該当する)、休講となった授業の時間は大学同様に学校に全く拘束されない、などである。容姿に関する規定も無いに等しく、カラーやパーマ、イヤリングを施す生徒がいても注意されるという話は聞かれない。しかし、同時に自己責任が問われることも事実である。これは福澤諭吉の建学精神である「独立自尊」に由来する。また、緑豊かな環境、原則全員が慶大に進学できる(ただし成績評価が低く、留年する者も毎年存在する)ため進路の心配が少ないことなども、伸び伸びした校風を形成している要因である。
式典も少なく、始業式や終業式は一切行われず、学期の初日から通常授業が始まる。期末試験終了と同時に長期休業に入るため、通信制を除けば年間の登校日が日本一少ない高校である[要出典]。上履きがなく、校舎内も土足で立ち入ることができる。掃除の時間もない。
環境 校内の畑と田んぼ校内の敷地は広大(37000坪)で、県有数の森や竹林があり、植生が豊かである。数多くの植物のほか、鴨や蜂、まれに狸、モグラなども見かける。農業高等学校時代の名残から、校内に作られた畑で耕作授業も行われている。このような恵まれた自然環境は本校の特徴の一つである(生徒1人あたりの敷地面積は他の高校と比べて非常に広い)。スズメバチが多量に生息しており、近年駆除を行ったが未だに校内でよくみられる。
農業高校時代に農地だった土地は現在グラウンドとして活用されている。また以前は野火止用水が流れていたが、現在は暗渠化されている。現在の敷地面積は農業高校時代と比べ、半分ほどに減っている(慶應義塾の財政難の対策として所有地を売却したため)。
進路 本校卒業生全員が学校長から慶應義塾大学への推薦を受けられるため、主に他大学を受験する生徒を除いた(他大学を受験する場合、推薦を辞退しなければならない)卒業生の殆どが慶應義塾大学の各学部へ進学する。進学する学部は基本的に各人の志望が尊重されるが、実際には在学中の成績・出欠状況を考慮した上で、各学部毎に設けられた定員に従って決定される。特に、医学部と法学部は例年人気が集中し、進学を希望しても叶わない場合がある。一方で、経済学部、商学部、理工学部、文学部、薬学部、総合政策学部、環境情報学部、看護学部を志望した場合には、卒業条件さえ満たせば進学が認められる場合が多い。
また、理工学部、医学部、薬学部のいずれかに進学するためには、2年及び3年次の必修選択科目で化学・物理を選択することの他に、3年次での自由選択科目で定められた理系科目(理工学部、薬学部と医学部では多少異なる)をとることが条件となっている。
通学手段 東武東上線志木駅東口より徒歩約7分 なお、かつては自宅からの距離が遠いため通学困難な生徒のために学生寮が併設されていた。ただし、全寮制ではなく、通学生の比率の方が高かった。寮は有隣寮と高翔寮の2棟があり、有隣寮は1962年、高翔寮は1964年に完成。当時の慶應義塾の一貫教育校で寮を持つのは志木高が唯一であった。しかし、公共交通機関の発展等の影響から年々入寮者が減少したため、1987年度の新入生を最後として募集を終了、1990年に閉鎖された。寮のあった敷地は売却されたため、現在はマンションなどが建っている。
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【偏差値75】早稲田大学高等学院
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早稲田大学高等学院・中学部(わせだだいがくこうとうがくいん・ちゅうがくぶ、英名: Waseda University Senior High School)は、東京都練馬区上石神井三丁目にある私立中学校・高等学校。設置者は学校法人早稲田大学。略称は「早大学院」「学院」「早高院」など。高等学院の生徒達は「学院生」と呼ばれ、高等学院の正式な書類や掲示など様々な場面においてもこの通称が使われる。
概要 早稲田大学の附属校であり、組織内では大学直属の学校として扱われる。中学部の創設に至るまで、「高大一貫教育」を掲げてきた。原則として卒業生全員が早大の各学部へ進学できるため、受験生からの人気が高く、首都圏各地から毎年多くの志望者が集まる。
1学年の定員が600人、全学年で1,800人と、高校としてはマンモス校である。1学級は約50人であり、A - L組までの12クラスが存在する。
校風は極めて自由である。制服として学生服が存在しているが、私服通学も認められており(ただし、中学部では制服着用は義務)、日々の学生生活では制服着用者と私服着用者(生徒全体の約10 - 20%)とが混在している。校則はほとんど存在しないが下駄、サンダル、半ズボンでの通学は禁止されている。アルバイトは届出なしに可能である。
一条校でありながら、本庄高等学院と共に、「学校」ではなく「学院」を称する珍しい機関。
特色 旧制以来の伝統として第二外国語が必修であり、ドイツ語・フランス語・ロシア語・中国語のいずれかを1年次より履修する。このため、早稲田大学進学後、学院在籍時と同じ第二外国語を選択した場合には、多くの学部では、一般入試で入学してきた学生や、他の付属校・系属校から入学してきた学生よりも高度な第二外国語のクラスを自動的に履修することになる。
また、2005年度より開始された3年次の総合的な学習の時間では、2年次に登録したテーマについて400字詰め原稿30枚程度の卒業論文の執筆が課される事となった。そしてこの単位は学部進学要件となっている。
2006年度から、文部科学省のスーパーサイエンスハイスクールに指定されている。
専任教員は、ほぼ全員が修士課程以上の課程を修了しており、特に理科系においては博士号を持つ者も数多い。また、ほとんどの教員は大学でも講義をもつ、研究者である。このことは、本校が大学受験のことをまったく考えなくてよいという事情とともに、授業内容に大きな影響を与えている。すなわち、文部科学省の定める一般的なカリキュラムにとらわれることなく、大学のように教員の研究分野に沿った、より発展的・専門的な講義を、教員が展開する場合が多い。この傾向は特に社会科学系の科目に強く、教科書にまったく記述がないトピックを扱うこともままある。他方、理系科目ではコンピュータを活用するもの、大学の範囲を先取りするものなど、非常に高度かつ発展的な授業が行われている。
これらは旧制以来の伝統的な本学院の特徴であり、学院時代の授業によって興味・関心を抱いたことをきっかけとして後に研究の道へと進むものも数多く、本学院から理工学部へと内部進学した学生は、一般入試の学生よりも大学院博士課程への進学率が高いことが大学の追跡調査によって判明している。
入学時に第二外国語科目及び芸術科目を選択するが、その選択によってクラス分けが行われ、入学時から卒業までクラス替えが行われないことも特色である。
入学と同時に早稲田大学への進学が原則として保証される。ただし、その最低条件として期末試験・学年末試験が機能している。通知表は各100点満点で評価され、各科目50点未満が赤点となり、6単位分以上の赤点を取ると留年となる。また、一年間の総合平均が60点を切る者も留年となる(ただし5単位分の赤点を取った者は総合平均62点未満が留年対象となっている。これらは、学習指導要領の改訂や、授業時間数の変更などにより、時代により基準は変更されている)。他に出席日数の条件がある。結果、毎年、各学年ごとに40人前後が留年となっており、留年は決して珍しいことではない。
始業は朝8時40分(ただし時差登校の場合は3時限目の始業時間の10時40分)。1コマ50分で、終業は15時00分。朝、及び帰りのホームルームは行われず、各学年週1回、授業1コマを使ってロングホームルームが行われるが、実際には30分程で終了するため、残りの時間は実質的に休み時間となる。
略歴 早稲田大学は、前身の東京専門学校の時代から、本科の前段階に位置する予科を設けていたが、最初に置かれた予科は、本科入学を希望する者への1年の予備教育を行った(1883年 - 1886年)。2年後新規に設置された予科は高等小学校卒業者を対象に募集したが、折悪く大隈重信が爆弾テロに遭うなどの諸事情で学校の運営に支障が出たことで、学校再建策の一環で廃止されている(1888年 - 1891年)。中等学校卒業者を対象にした高等予科の誕生(1899年)をもって、現在の高等学院の源流を求めることができよう。1908年には理工科(現・理工学部)設置と共に、理科の高等予科も開かれた。
1920年に、早稲田大学が大学令による大学に昇格するのに伴い、高等予科も大学予科としての内容の充実が図られ、早稲田高等学院と改められた。1922年より中学校4年修了者対象の第一高等学院・中学校卒業者対象の第二高等学院の2校体制を学制改革まで維持した。戦前期、早稲田大学の学部に入学するには、中等教育終了後、第一・第二いずれかの高等学院で予備教育を受ける必要があった。
旧制から新制に転換する際には、旧制高等学校のように新制大学の教養部や各学部に再編されるのではなく、従来の実績を踏まえながら、大学の中核となる学生を育成する附属の新制高等学校として生まれ変わり、現在に続いている。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値74】早稲田実業高校
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早稲田大学系属早稲田実業学校(わせだだいがくけいぞくわせだじつぎょうがっこう)は、東京都国分寺市に所在する私立小学校・中学校・高等学校。
概要 通称早実(そうじつ)・実業。早稲田大学の系属校である。理事長は早稲田大学総長の白井克彦(2009年9月現在)。学校長は早稲田大学教育・総合科学学術院教授の渡邉重範。初等部校長は多宇邦雄。
小中高一貫教育を行い、早稲田大学への推薦入学制度がある。推薦率の向上や共学化に伴って早稲田鶴巻町に所在していた頃より人気が上昇し、首都圏では難関校の一つである。大学への推薦枠は他の附属・系属校とは別に独自の枠として定められ、近年は高等部卒業生総数を上回る。平成20年3月卒業生では総数に対して97%超にあたる者が推薦制度で早大に入学した。
他の附属校と比較すると校則が厳しい(校内への携帯電話の持ち込み禁止など)。 校名は実業学校であるが、現在は普通科のみで実業教育は施していない。「早稲田実業高校」の表記が散見されるが誤記である。
校章 一対の稲穂を束ねた様子を図案化したもの。稲穂は早稲田大学系の学校の象徴である。
ただし、次に述べる制服には、男子の場合、右襟(自分からみて)に中等部には"S"・高等部は"H"の文字が入った襟章、そして左襟には学年組章を装着する。女子の場合は、校章バッジはなく、男子と同じ学年組章のみ胸ポケットに装着する。高校生に所属クラスまで表示するバッジ装着を義務付けることは、首都圏の学校では稀で、校則の厳しさを象徴する。
略歴 1901年(明治34年)、早稲田大学の前身である東京専門学校が大学としての基礎を確立したころ、創立者である大隈重信の教育理念を実現し、その建学精神に基づいた中等教育をめざして大隈重信の周囲の者達により設立された。
「豊かな個性と高い学力をもち、苦難にうち勝つたくましい精神力を兼ね備えた人物」を育成するために、校是として「去華就実」(華やかなものを去り、実に就く)を、校訓として「三敬主義」(他を敬し、己を敬し、事物を敬す)を創立当初から掲げてきた。また、多くの旧制中等教育学校が5年制をとる中にあって、独自の6年制教育を行っていた。
以来、実業界を中心に多彩な人材を世に送り出し、また大正期に入るとスポーツ活動の充実を図り、質実剛健の校風が確立されていった。その後、戦災で校舎は廃墟となったが、関係者の尽力により復興を果たし、第二次世界大戦後の急速な発展を見た。
2001年に創立100周年を迎え、それまで早稲田鶴巻町にあったキャンパスを国分寺に移転し、中学部の呼称を中等部に改称した。さらに2002年4月からは、早稲田大学の系列校では初めて中等部、高等部とも男女共学を実施、また、初等部を開設するなど、早実第二世紀にふさわしいスクール・アイデンティティーの構築を目指し、学校改革に取り組んでいる。
学校創立前後の経緯については岩波文庫『湛山回想』で石橋湛山による記述がある。
部活動 早稲田実業学校の部活動の起源は1902年に発足した「大成会」に求めることができる。2代目校長天野為之が「大器晩成」の語より命名し、「学生相互の親睦を計り知識の交換をなし体育を奨励し校風を発輝する」ことを目的に発足した。 そのため、古くから体育・文化系を問わずクラブ活動が盛んであり、現在も多くの部が全国レベルの活躍をしている。
中でも硬式野球部は全国高校野球大会(甲子園)に出場45回(夏の選手権大会は第1回大会から出場して27回、春の選抜大会も第1回大会から出場し18回)と全国でも屈指の名門校である。春夏併せての甲子園通算成績は58勝44敗。優勝は1957年春大会、2006年夏の大会各1回。
バスケットボール部もインターハイ11回、春の選抜・ウィンターカップ4回出場の名門である。1971年インターハイと1974年春の選抜では準優勝を果たしている。直近で出場した全国大会は2003年の第39回ウィンターカップで、1回戦金沢高校に84 - 100で敗戦。
硬式テニス部(男子団体)は全国選抜高等学校テニス大会の第1回大会では優勝を果たしている。
硬式野球部 第88回夏の大会初優勝を遂げた試合のスコア。スコアボードの左上に掲揚されているのは早実の校旗。 第89回夏の大会・阪神甲子園球場へ優勝旗返還のために開会式に参加した早実・川西啓介主将早稲田実業学校高等部硬式野球部は全国高校野球大会に計45回出場している。春の選抜高校野球大会にはこれまで18回出場し、1957年の第29回大会では王貞治投手(現・プロ野球コミッショナー特別顧問)が投打に活躍し、決勝戦で高知商業を5-3で下し初優勝している。
夏の全国高校野球選手権大会にはこれまで27回出場している。2006年の第88回大会では決勝戦で南北海道代表の駒大苫小牧を引き分け再試合で4-3で下し初優勝を果たした(第88回全国高等学校野球選手権大会決勝を参照)。優勝投手は斎藤佑樹。
夏の大会は学校を移転したことや、東京都の東西地区割りが変更されたこともあり両地区から出場。地区予選で旧東京都大会・東東京・西東京ブロックの3大会での優勝は史上初である。
2006年ののじぎく兵庫国体では決勝戦では駒大苫小牧と再び対戦し、1-0で駒大苫小牧を下し29年ぶり2度目の優勝を果たし、夏の甲子園大会・国体の2冠を達成した。
第1回全国中等学校優勝野球大会(1915年・大正4)に出場した学校のうち、第1回大会で優勝した京都二中、大正期に連覇した和歌山中(現桐蔭)に続いて、第二次世界大戦後では初の深紅の優勝旗を持ち帰った学校となっている。
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【偏差値74】慶應義塾高校
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慶應義塾高等学校(けいおうぎじゅくこうとうがっこう、英語名:Keio Senior High School)は、神奈川県横浜市港北区日吉四丁目に所在する私立高等学校。
概要 通称塾高(じゅくこう)。高校野球での校名表記では慶応(原則として新字体を用いることになっているため)である。入学者の半数強が外部受験者で、残りが普通部・中等部からの内部進学者(幼稚舎卒を含む)であり、1学年の人数が700名を越す大規模校である。高校受験における募集枠は一般約330名、推薦40名である。ほぼ全員が大学受験をせずに慶應義塾大学に進学出来ること、また渋谷駅から東急東横線日吉駅まで20分程、大学に隣接していて交通の便が良いことから人気が高く、首都圏最難関校の一つに数えられる。
政界・財界に多くの人材を輩出しており、国会議員(現役)、上場企業社長(現役)を務める卒業生の数は、全国の高校で最多である
組織・運営 2009年日吉祭 日吉祭会場現校長は慶應義塾大学理工学部情報工学科教授の大野義夫。 慶應義塾の一貫教育校であり、(一部の他大学進学者[2]を除き)一定の成績を修めたほとんどの生徒が、卒業後慶大に推薦入学する。 大学を中心とした附属校とは異なり、慶應義塾では大学・高等学校ともに独立した一組織という位置付けとなっている(実際は99%以上の生徒が慶大へ進学しており、一般で言う附属校には変わりない)。 高等学校の学生証で大学図書館(メディアセンター)に入館できる。また、大学生協や学生食堂といった大学の他の施設を利用することも可能。 六大学野球慶早戦が行われる時、慶早戦が1勝1敗で月曜日以後に持ち越しとなった際には決着が付くまで休講となる(現在はカリキュラム変更に伴い、優勝がかかった場合のみ休講)など、独自の文化に根ざした運営を行っている。 「慶應義塾塾歌」とは別に、高等学校独自の校歌(「慶應義塾高等学校の歌」)が存在する。しかし、その校歌が実際に歌われることは入学式や卒業式などを含めて一切なく、歌詞やメロディーはおろか、その存在すら知らない者もいるとされる。また、野球の試合(県大会や甲子園)で塾高が対戦校に勝利した際は、塾歌が「慶應義塾高校校歌」として歌われる。 日吉祭(文化祭)は規模が大きく、来場者数は2日間で1万人を超える。 校則がほとんどない。しかし、トイレで同個室に複数人で入ると停学処罰される(喫煙防止が目的:通称「ワンボックス」)など、ユニークな校則もある。
教育・学業 文部科学省指定のスーパーサイエンスハイスクールに指定されている。 2年次より第二外国語を含む多様な選択科目が導入されている。 3年次に「卒業研究」(大半の講座は論文形式)が卒業の要件として義務付けられている。 各科目を20点満点で評価し、全科目の平均が10点満点で評価され、平均は6.7点前後となっている。6.0未満は進級会議(その生徒の進級か留年かを決める)にかけられることになる。なお、進級の最低ラインは5.5点だとされる。 同一学年での滞留は2回までで、それを超えると退学となる。そのため最大で6年間在籍するものもいる。 生徒数は約2200人で、各学年のクラス数が18(A組 - R組)にも及ぶマンモス校である。それゆえ、上位と下位との学力差が大きく、毎年1クラス分の留年者が出る。 授業は1日6時限(1時限50分)で週5日制。8:20から授業開始、終了は14:50である。朝は授業後のHRが無い。 欠席は授業単位で扱われる。 教師が授業を行えないときは「休講」となり、自由時間となる。自習は行われない。その日の最終授業が休講の場合はそのまま帰宅もできる。 医学部への塾高からの推薦枠は22名であり、校内でも激しく争われる。その為、医学部のみを推薦希望する場合に限り、外部の医科大学・医学部との併願ができる特例制度が設けられている。それ以外の学部への進学は、一般受験を経て入学する場合の難度と比べれば容易である。 施設は充実しており、天体望遠鏡、プラネタリウム、フーコーの振り子といった、一般の高校ではみられない設備もある。なお、フーコーの振り子の糸を切ると停学処分となる。
学生生活・部活動 部活動は体育系、文化系とも数も参加者も多く盛んで、野球部・端艇(ボート)部・ラグビー部・映画部、他全国レベルの実力を有しているクラブが多数ある一方で、高校では珍しい自動車部や、慶應義塾ならではの福澤研究会といった、特色ある部が存在する。その反面、部員ゼロという状態が続く部も少数ながら存在する。 演劇部、ESS、楽友会、ワグネルソサエティオーケストラ、マンドリンクラブ等の文化系部活動は、女子高等学校と協同で行っている。活動場所も、部活動によっては三田の女子高等学校校舎を利用している。 ゴルフ部は同じ日吉内にある慶大の練習場を借りて行っている。 アメリカンフットボール部が、2005年度全国高等学校アメリカンフットボール選手権大会で22年ぶり3度目の優勝。 バスケットボール部は1970年のインターハイで準優勝。 吹奏楽部が東関東大会金賞。 マンドリンクラブが、2004年に第34回全国高等学校ギターマンドリンフェスティバルで朝日新聞社賞を受賞。 ラクロス部は日本で初めてのラクロス部として1985年に発足。現在関東学生(大学生)3部リーグに所属している。 弓術部(弓道部)が、平成18年度国民体育大会・少年の部優勝。 2007年に映画部のメンバーが中心となり、数名で制作されたコメディ作品『ワッショイ!』が、第2回高校生映画コンクール(映画甲子園)において、最優秀作品賞(グランプリ)・中央出版株式会社賞などの賞を獲得し、6冠に輝いた。 全校的学外活動としては、一般の修学旅行に当たる選択旅行や、1年次の親睦旅行がある。
硬式野球部 起源は1888年創部の三田ベースボール倶楽部。1948年の高等学校開設とともに高等学校野球部となり、現在に至る。 1916年の第2回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園)に慶應義塾普通部として出場し、優勝している。 2005年、45年ぶりに第77回選抜高等学校野球大会に出場。ベスト8へ進出。主力はスポーツ推薦組である。 2008年には第80回選抜高等学校野球大会に3年ぶり7回目の出場。また、第90回全国高等学校野球選手権記念大会の際には、北神奈川大会の決勝戦で東海大相模を破り、46年ぶり17回目の出場。南神奈川代表の横浜高校と共に春夏連続出場を果たし、ベスト8に進出する成績を挙げた。さらに、同年の秋季神奈川県大会で優勝、その後に続く関東大会でも千葉県の習志野高校を破り、優勝している。また、その後の第39回明治神宮大会・高校の部でも奈良の天理高校を破り優勝。 2009年、第81回選抜高等学校野球大会に出場。 部訓は「エンジョイ・ベースボール」。自由かつ伸び伸びと野球を楽しむことを日頃から重視している。
塾高がモデルになった作品 石原慎太郎の小説『太陽の季節』 - 著者の弟・裕次郎の塾高における日常をモデルに書かれた作品。 松本隆の小説『微熱少年』 - 東急東横線沿線にある「小高い丘の上」の大学の附属高校が舞台になっている(p.79 - 80)。その一節より、「学生服のボタンを見ただけで、初対面の女の子たちの応対が変わるのが厭だった。彼女達の評価してるのは、自分の服で、中身でないような気がした」。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値73】早稲田大学本庄高等学院
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早稲田大学本庄高等学院(わせだだいがくほんじょうこうとうがくいん)は、埼玉県本庄市大久保山(正式名称:浅見山丘陵)にある私立の高等学校(普通科、男女共学)。略称は「本庄学院」または「早大本庄(早本)」。在校生や教職員は、単に「学院」と称することも多い。大学や石神井の高等学院からは、「本庄」と呼ばれる。男子校として設立されたが、2007年4月より男女共学化した。
概要 学校法人早稲田大学が運営する高等学校であり、早稲田大学開校100周年にあたる1982年に開校。一学年の定員は320人。また、自宅からの通学が困難な生徒のために「委託ホーム」と呼ばれる寄宿制度があり、全国及び世界各地から生徒が集まる。国際色豊かで自由な校風。現在の本庄高等学院長は早大大学院国際情報通信研究科教授の山崎芳男(2008年-)。
早稲田大学にはかつての予科の流れを汲む直系の附属校として、同校と東京都練馬区にある早稲田大学高等学院・中学部がある。また、早稲田実業学校、早稲田中学校・高等学校、早稲田渋谷シンガポール校、早稲田摂陵中学校・高等学校および早稲田佐賀中学校・高等学校は学校法人の異なる系属校である。
一条校でありながら、早稲田大学高等学院と共に「学校」を称していない珍しい機関。
環境 浅見山丘陵の美しい自然に抱かれるように校舎が立地する。丘陵の北側からは、日光連山や赤城山、榛名山、浅間山などの山々が一望できる。また、キャンパス内には塚本山古墳群を始め、200基余りの古墳が存在する。更に、絶滅危惧種に指定されているオオタカが生息しているのをはじめ、ニホンイノシシ、スズメバチ、ニホンマムシといった野生動物が多く生息している。早稲田大学の本庄校舎や上越新幹線本庄早稲田駅はキャンパス北部に立地する。
校舎は穂積信夫が設計した。その基本コンセプトは、教員を「店長」、生徒を「お客様」と設定し、『「お客様」である生徒は「店長」の待つ「店」(各教科棟)へ足を運び、「店長」である教員は生徒の興味をそそる企画を行い、学究的な雰囲気を高めていく』というものである。そのため、所謂「職員室」は存在しない。代わりに各教科教員が詰める「教員室」が各棟に設置され、事務職員は各教科棟とは別に設置された事務所棟に詰める。 現在、女子生徒の入学に伴い、校舎が手狭になったため、新校舎建設が計画中である。
寮 学校指定の寮は無いが、学校が都心から離れて立地している点や帰国生徒を多く受け入れている点、さらに2007年3月末まで男子校であったこともあり、早稲田大学が地元の住民に委託して本庄高等学院独自の寄宿施設(委託ホーム)を設けている。そういう意味では、寮制の学校と類似の形態と言える。かつては全生徒の半数以上が入居していたが、バブル経済の崩壊や上越新幹線本庄早稲田駅の開業などにより入居者が減少した。現在では男子生徒のうち約3割の生徒がホームに入居している。各ホームでは約5?15人が共同生活を送っている。現状では女子生徒の入居は認められていない。
入学者の状況 都心から離れて立地しているが、卒業生全員が早稲田大学の各学部へ進学可能であり、さらに寄宿制度の整備、本庄早稲田駅の開設により、例年国内外から多くの志願者を集めている(一般入学試験一次試験は、本庄市の同校キャンパスと新宿区西早稲田の早大本部キャンパスにて行なわれる)。他の早慶附属高校と並び、首都圏難関校の一角に数えられている。また、帰国生徒入試やα選抜、指定校推薦など多様な方法により入学者の選抜を行なっている。定員は男女別で、男子240名・女子80名とされているが、共学化以降女子を定員より多く入学させる年が続いている。
教育 専任、非常勤共に個性的な教師陣を揃え、ユニークな授業が展開される。教養教育を重視しており、人文科学、社会科学、自然科学に渡る多くの教科が全生徒必修となっている。また、スーパーサイエンスハイスクール(以下SSHと記す)制度の制度導入時からの指定校であり、第2学年への進級時には高度な理系科目を履修するSSHクラスへの移動が出来る。ただし、SSHクラスは2クラスしかないため、有志を募った上で数学が得意な者、または苦手な者を優先的に選抜する。3年時には卒業論文が課せられるという特色を持つ。論文のテーマはどの様な内容でも構わない。また、各種の国際交流プログラムが用意されている。進学する学部は、3年間の成績と卒業論文、本人の志望により決定される。直系の附属校として、系属校よりも多くの進学定員数が付与されている。
教育目的 早稲田大学の一員として、早稲田大学建学の精神に基く。
国際交流 北京大学附属中学とSingapore National Junior Collegeが姉妹校である。特に北京大学付属中学は開校時から交流があり、北京市への修学旅行に際して訪問するなど、各種の交流が行なわれてきた[3]。また、近年においては、華東師範大学第二中学(上海市)との国際交流締結の調印や国立台中第一高級中学(台中市)の来訪が行なわれるなど、世界各地の名門校と交流がある。
部活 大学と同様に部活動も盛んである。運動部では、インターハイや国民体育大会などの全国レベルの競技会でも活躍するスキー部、陸上競技部、硬式テニス部を筆頭に、過去に年代別日本代表選手や、例年、国民体育大会代表選手を輩出するラグビー部やサッカー部等も好チームである。文化部においてもスーパーサイエンスクラブなどが国内外の大会で活躍している。また、部活動には所属せず、個人あるいは有志で各種競技会に参加し、好成績を収める生徒も多い。現在活動しているクラブは下記のとおりである。
文化部:文芸部、天文部、美術部、グリー部、ESS部、写真部、将棋・囲碁部、ブラスバンド部、軽音楽部、EMANON部、ピアノ部、スーパーサイエンス部、演劇部、政治経済部、書道部、映画部、落語研究会、昔、男ありけり、化学部、地歴部、数学研究会、クイズ研究会、クリエーター部
運動部:陸上部、サッカー部、硬式野球部、ラグビー部、硬式テニス部、軟式テニス部、バレー部、バスケットボール部、剣道部、レスリング部、体操部、卓球部、バドミントン部、スキー部、ワンダーフォーゲル部、應援部、自転車部
行事 稲稜祭(文化祭)が毎年11月初めに開催されている。高校の文化祭としては集客力が高く、埼玉県北部を中心に群馬県等の県外からも多くの来客がある。クライマックスの後夜祭は在校生のみの参加となっており、大いに盛り上がる。 体育祭は6月はじめに開催される。平日開催で公開されないため、稲稜祭に比べれば地味であるが、例年派手な仮装による参加が名物となっている。また一年生は毎年早慶戦を観戦し、ここで早稲田の一員であることを自覚する。その他にも芸術鑑賞会、サマーセミナー・ウィンターセミナー、球技大会、遠足、修学旅行、マラソン大会、ホーム生によるスポーツ・バーベキュー大会などがある。なお、入学試験期間に入ると温習日という約一週間の休校日がある。
その他 学部生、大学院生と同様に早稲田大学が提供する各種サービスを利用することができる。 特に指定された制服、髪型などはなく自由な格好で授業を受けられ、大学のような雰囲気である。 生徒の良識に任せているため校則らしい校則はない。ただし、委託ホーム内での麻雀は禁止されている。 同校は、映画やドラマの撮影に使われることがある。 成績優秀者には大隈奨学金が与えられる。
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【偏差値73】渋谷教育学園幕張
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渋谷教育学園幕張中学校・高等学校(しぶやきょういくがくえん まくはりちゅうがっこう・こうとうがっこう)は千葉県千葉市美浜区にある私立中学校・高等学校。通称は「渋谷幕張」、「渋幕(しぶまく)」。
概要 併設の中学校とともに中高一貫教育を行っている。自らが調べ、考えるという意味の 「自調自考」、「高い倫理感」、「国際人としての資質を養う」の3つが教育理念であり、自主性重視のリベラルな校風である。
周辺環境 学校周辺には、県立衛生短期大学・県立幕張総合高等学校・昭和学院秀英中学校・高等学校・放送大学・県総合教育センター・神田外語大学・幕張インターナショナルスクール等の文教施設が集まり、「学園のまち」と呼ばれている。
制服 ブレザーは、中学校・高等学校共に紺。 左胸に槐(えんじゅ)の葉を形取ったエンブレムが入る。 ズボン・スカートは、中学・高等学校共にグレーで、夏服はピンチェックが入る。女子は2002年から導入された中間服と呼ばれる濃緑でチェック柄のスカートを着用する場合が多いが、正式な場(始業式など)での着用は不可とされている。 高等学校のブラウス・ワイシャツは水色。中学校のブラウス・ワイシャツはクリーム色。素材は中学の方が化繊の割合が高い。 ネクタイ・リボンは、ブルーに赤と緑のストライプが入る。2002年以前は中高共通で、現在の高校のものとほぼ同じであった。 靴下は制服にふさわしいものであれば自由。 靴も革靴以外でも可である。
部活動 部活動ではサッカー部、水泳部、テニス部、空手道部、ドリル部、物理部、電気部などが全国大会レベル。高校入試では事実上のスポーツ・芸術の推薦制度があるが、合格者は毎年数名程度である。ただし、近年は強豪のサッカー部などを含め、部活の時間を絞るなど、勉強以外の課外活動への制限を若干強化している。2006年に周囲365mの第一グラウンドを全て人工芝に貼り替え、陸上競技用短走路5レーンを合成ゴム舗装にした。
帰国子女教育 英語の試験だけの帰国枠入試が設けられている。(中学入試も去年から英語のみの入試となった) なお、帰国子女枠で入学した生徒は、卒業するまで英語の授業はネイティブの先生によって一般の生徒とは別の教室で行われる。
進学実績 進路は例年文:理が4:6程度であり、理系が比較的多い。2010年は東大に47名の合格者を出した。
その他 高2の夏休み明けに、「自調自考論文」という卒業論文のようなものの提出が義務づけられている。生徒はそれぞれ、自分がもっとも興味を持っている事柄について研究し、論文にまとめる。 月に一度程度、校長が生徒に語りかける「校長講話」が行われている。学年ごとにそれぞれ違ったテーマについて語られている。ちなみに、中1は「人間関係」、中2は「自我のめざめ」、中3は「新たな出発」、高1は「自己の社会化」、高2は「自由とは」、そして高3は「自分探しの旅立ち」となっている。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値72】市川高等学校
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市川中学校・高等学校(いちかわちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、千葉県市川市本北方にある、学校法人市川学園が経営する男女共学の私立中高一貫校である。
概要 1937年(昭和12年)、教育者で東京府立四中教諭・主任であった古賀米吉が市川市東菅野に旧制中学校として市川中学校を開校させたことに始まる。戦後、旧制中学校が新制の高等学校に移行するとともに中学校が併設された。
創立以来およそ70年間男子校であったが、2003年(平成15年)本北方への高校・中学校舎の移転に伴い、中学の共学化を開始、その第一期生が高校に進学する2006年(平成18年)年からは高校の共学化も実施された。略称が公立校と勘違いもされるが、「市川」、「市学」などである。なお、学校法人としては、市川高等学校・中学校の他に3ヶ所の幼稚園を経営している。
教育方針・校風 市川学園の教育方針は「個性の尊重」と「自主自立」である。
これを実現するために
「独自無双の人間観」 「よく見れば精神」 「第三教育」 という三本柱を立てている。
ちなみに「第三教育」とは、自分で自身を教育するということである。また、こういった教育方針は自由主義的な校風を念頭に置いたものである。
年度始めには全員にシラバスが配布され、生徒が学習の流れをつかみやすいように工夫されている。
制服 制服(左から中学女子、中・高男子、高校女子)男子の制服は黒の詰襟で、黒ボタンが特徴である。黒ボタンは旧制中学時代からの伝統で、市川学園の校章である耳章がかたどられている。黒地に黒ボタンの制服は見た目が真っ黒で離れたところから見てもかなり目立つ。なお開成中学校・高校も黒地に黒ボタンの詰襟であるが、これは全くの偶然である。
ちなみに旧制第一高等学校の制服も黒ボタンであったため、両校ともそれを模した可能性もある。
入試・進路 県内有数の進学校として知られる。千葉県内の高校が次々と共学化していくところが多い中、男子校を貫き通したが、新校舎に移転、共学化に移行した結果、偏差値は再上昇した。東大などの合格者数の増加に力を入れている。
進路実績 [編集] 【2006年 主要大学の合格者数】(学校側の資料による)
東京大学 6名 京都大学 3名 一橋大学 3名 上智大学 43名 早稲田大学 111名 東京理科大学 128名 慶應義塾大学 58名 明治大学 114名 東京工業大学 7名 東北大学 4名 北海道大学 3名 東京農工大学 5名 【2007年 主要大学の合格者数】(学校側の資料による)
東京大学 4名 一橋大学 3名 上智大学 36名 早稲田大学 106名 東京理科大学 109名 慶應義塾大学 52名 明治大学 134名 東京工業大学 2名 北海道大学 2名 千葉大学 11名 横浜国立大学 6名
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【偏差値72】東邦大付属東邦高校
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東邦大学付属東邦中学校・高等学校(とうほうだいがくふぞくとうほうちゅうがっこう・こうとうがっこう 英称:Toho Junior & Senior High School)は、千葉県習志野市にある私立中学校・高等学校。中高一貫制共学校。略称は、『東邦大東邦、東邦』。愛知県にある東邦高等学校、及び東京都にある東邦音楽大学附属東邦中学校・高等学校とは、全くの無関係。
概要 東邦大学を創設した額田豊、額田晉により創立され、50年の伝統を有する進学校。創立目的が理数科一貫教育にあり、理系教育には定評がある。高等学校の入学試験においては、現在でも国語・数学・英語・理科の4教科で行われる特殊な試験形態である。
建学精神 「自然・生命・人間」の尊重 これはこの建学精神についてより深く記されている創設者額田晉の著書名であり、在校生にはこの本が入学時に配布される。
アクセス JR総武線津田沼駅より京成バスで20分 京成電鉄京成大久保駅より徒歩15分
進路 東京大学、千葉大学、一橋大学、東京工業大学を始めとする国公立大学、早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学、東京理科大学などの有名私立大学への合格者を多数輩出している。進学実績では、市川高校、県立船橋高校等と並ぶ位置にある。
創立目的が理数科一貫教育にあり、理系教育には定評がある。創立より理工科系の進学に力を注いでおり、この分野の進学者が多い。さらに国公立大学医学科の合格者数は県内有数の実績を誇る。東邦大学医学部への推薦枠もある。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値71】青山学院高等部
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青山学院中等部・高等部(あおやまがくいんちゅうとうぶ・こうとうぶ)は、東京都渋谷区渋谷四丁目にある私立の中高一貫校。男女共学。モットーは「地の塩、世の光」(マタイによる福音書より)。
概要 現在ある中等部は1947年開設、現在ある高等部は1950年設立である。メソジスト派のミッションスクールで、キリスト教精神に基づく教育を行っている。青山学院初等部・幼稚園からあがってきた生徒のほかに中等部・高等部入学試験により入学した者が在籍。難関校のひとつにかぞえられている。
高中部という名称が使用されることもあるが、これは中高一貫での教育体制を実施するために、1986年より学校法人青山学院が法人内に設定している組織名称であり、東京都への届出はあくまで中等部・高等部である。
全校生徒数は1,364名(2007年5月現在)で1学年中等部6クラス、高等部10クラス程度のホームルームで構成している。また、1クラスの生徒数は平均して45人である。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値71】明治大学付属明治
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明治大学付属明治高等学校・中学校(めいじだいがくふぞくめいじこうとうがっこう・ちゅうがっこう)は、東京都調布市富士見町にある、学校法人明治大学が運営する私立中学校・高等学校。中高一貫制共学校。
概要 明治大学の直系付属校。通称は「明大明治」「明明」。校内では「明中生(めいちゅうせい)」「明高生(めいこうせい)」と呼ばれる。 1912年に旧制明治中学校として設立。戦前は進学校の性格が強かったが、戦後は明治大学までの10年一貫教育を方針とした学校となり、今日に至っている。 明治大学唯一の直系付属校として人気が高く、大手進学塾日能研等による入試難易データでは、早慶付属校などと並び、私大付属校としては最難関圏内にランクされている。[1] 2008年に調布市の同大学グランド跡地へ移転し、同時に男女共学となった。 新キャンパスへの移転により、総工費約240億円の最新施設での少人数教育、クラブ活動等、教育環境の格段のバージョンアップの下、更なる飛躍が期待されている。
教育 初代校長・鵜澤總明 胸像社会科(倫理)に於いて、ジグゾー法という画期的なプログラムを用いた授業が実践されており、コミュニケーション能力等の社会的スキル、自己と他者への気づきなどを拡大させることを通じ、単なる知識の習得ではない全人格的な成長を促すものとして、教育界の注目を集めている。 外国語教育では全授業の半分を、クラスを分割した少人数制で実施(中2からは習熟度別編成に移行)。その他、外国人講師による英会話、文法の授業等を実施。 夏季休暇期間中に海外にて約3週間の語学研修を実施(希望生徒のみ)。2008年度より、英国のパブリックスクール・イートン校で実施。(18人の首相を輩出している英国一の名門校であり、各国の王室や名家の子弟が集まることで世界的に有名) 各クラス、部活等の代表を集めた、リーダー研修会を実施。生徒達に主体的に各機関の活動計画の策定、運営等をさせることにより、リーダーシップを養成。 夏季休暇期間中等の集中講座として明治大学の主催により、簿記検定講座、法学検定講座、TOEIC講座等を設置。将来の公認会計士試験等の合格を念頭においた、早期の指導を実施。
明治大学への推薦 明治大学には、希望すればほとんどの生徒が進学できる。この点が、他の付属校(明治大学付属中野中学校・高等学校及び明治大学付属中野八王子中学校・高等学校)と異なる。ただしこのため、過去に、中には著しく学力の劣る生徒が明治大学に進学してしまうケースも稀にあった。そのために高校での進級基準は厳しい。1997年の基準改定までは、科目毎の成績による留年または二度の進級失敗により退学となる生徒もいた。 推薦制度の弊害として、自ら他大学を受験する生徒にはあまり協力的ではない(そもそもカリキュラムが受験用に作成されていないというのも原因のひとつ)。しかしそのため、履修漏れ等は一切無く、また特定分野に於いて突出した能力を持つ生徒も少なくない。 付属高校の成績上位者は東京大学を始めとした国立大学・私大医学部に進学する者もいるが、そもそも他大学受験指導といったシステムが無く、成績上位者は已む無く明治大学に進学するケースも多い。
施設 バレーコート4面を収容する第1体育館を始め、2つの体育館、柔道場、剣道場及び、250mトラック、サッカーコート、テニスコート5面を擁する全面人工芝のグラウンド、蔵書数約4万冊の図書館、CALL教室、大小教室や音楽室・作法室等の特別教室、1450名収容の大講堂、350名収容の食堂・カフェテリア、コミュニケーションスペースにもなる幅6mの広い廊下等。進学塾の説明会等では、都内随一の施設内容とも紹介される。スクールバスは15台。プールは無い。
部活動 中学で約99%、高校で約92%の生徒が参加。[2]活発な活動を行っている。
運動部 スキー部は14年連続インターハイに出場中。 硬式野球部は戦後に島岡吉郎が監督に就任してから、甲子園の常連になり、計7回出場の実績をもつ。現福岡ソフトバンクホークス監督である王貞治氏の高校三年最後の夏(1958年)の甲子園予選決勝で、同氏が所属する早稲田実業を延長の逆転の末に破り、本選出場を果たしたことでも知られる。平成18年に新設された国内有数の施設である、明治大学ボールパーク内の第二球場をホーム練習場として使用開始しており、強豪復活が期待されている。 バスケットボール部、バレーボール部、陸上競技部、水泳部、卓球部等を中心に全国大会、関東大会への出場を果たすなど活躍している。
文化部 マンドリン部は全国大会での5年連続入賞を始め、各賞を受賞するなど、国内トップレベルの実績を誇る。2004年には「明治高校マンドリン部OB孝友会オーケストラ」が発足。 吹奏楽班が毎年東京都高等学校吹奏楽コンクール(予選)にて金賞を受賞し、東京都吹奏楽コンクール(都大会)に出場している。また、2007全国高等学校吹奏楽JAZZコンテストにて金賞受賞。 映画部が「高校生映像コンクール」にて銀賞受賞、「映像甲子園2008」にて優秀規定作品選定等。 化学部が全国大会出場。
その他 旧校舎(現明治大学猿楽町校舎)のあった御茶ノ水・とちの木通り教員採用の応募倍率は60倍(学校説明会による) 1960年頃まで、明治第二高等学校が設置されていた。著名な卒業生に明治大学評議員舩曵寛眞氏(日本航空名誉顧問)等。 学習に対する主体的アプローチや情報に対する自己判断力の向上を促進させる、『NIE』への先進的な取組みで知られ、第1回全国高等学校NIE研究会・研究発表全国大会が同校で開催されるなどしている。 中国・上海の名門、建平中学(高等学校)の訪問団が来訪し、交流を深めている。 調布移転前の御茶ノ水校舎は、『ドラゴン桜』(ドラマ化もされた人気漫画作品)の物語の主な舞台である学校校舎のモデル。校地は元々東京音楽大学発祥の地であり、更にそれ以前は原田熊雄男爵邸であった。 関東大震災時に校舎内部を焼失したが、麻布中学の校舎を借用して授業を再開した。(「明治高校六十年誌」より) フジテレビの1時間のドキュメント番組で応援指導班の活動内容が放映された(2007『花の中学生応援団』)。2010年、その後の生徒達の成長、班の活動内容を追った続編が制作され、初回の再編放送と共に放映された。その他、フジテレビの情報番組(2008)で、バレー部、野球部、マンドリン部等の活動がシリーズで紹介されるなどした。 高3生2名によるペアが『M-1甲子園』2008大会にてグランプリを獲得。 一時期伊豆七島の八丈島に明治高校八丈島高校が存在したが短期間で閉鎖された。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値70】昭和秀栄高等学校
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昭和学院秀英中学校・高等学校(しょうわがくいんしゅうえいちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、千葉県千葉市美浜区にある全日制の私立中学校、高等学校。1983年に学校法人昭和学院が設立。略称は昭和秀英(しょうわしゅうえい)。
運営法人 学校法人昭和学院
沿革 1983年3月7日 - 昭和学院秀英高等学校の設置認可、開校(4月1日)。 1985年3月28日 - 昭和学院秀英高等学校附属中学校の設置認可、開校(4月1日)。 1988年 - 高等学校の指定制服を全面リニューアル。デザインをコシノヒロコに依頼。県内のDCブランド制服ブームのはしりとなる。 1996年 - 附属中学校を昭和学院秀英中学校と校名を変更。 2008年 - 新たに新校舎を建設。これにより各校舎の名称が変更される。
交通 JR総武本線「幕張駅」、京成電鉄京成千葉線「京成幕張駅」下車 徒歩15分 JR京葉線「海浜幕張駅」下車 徒歩10分
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【偏差値70】江戸川取手(医科)
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江戸川学園取手中学校・江戸川学園取手高等学校(えどがわがくえんとりでちゅうがっこう・えどがわがくえんとりでこうとうがっこう)は、茨城県取手市西にある中高一貫教育を行っている私立の中学校と高等学校である。
概要 通称は江戸取(えどとり)。設置者は、学校法人江戸川学園である。儒教を基盤とした道徳教育に力を入れているが、進学実績に関しても茨城県内では上位に位置する進学校でもある。「ネット授業」にも力を入れており、学校ホームページには「全教科ポイント学習」のページもある。また「マスター奨学制度」と「飛び級制度」を設けている(後述)。
高等部1組・2組に医学部歯学部を目指す生徒を集めた、通称「医科コース」なるクラスを一年時より編成し、大学入試センター試験における理科3科目(化学・物理・生物)に対応した授業など、医学部合格者を増やす努力をしている。また、普通科においても、高1のころから東大コースを設置し、早い段階から東大、京大をはじめとする難関国公立大学合格を目指す環境を作っている
設置者の学校法人江戸川学園が設置する大学に江戸川大学があるが、近年においては、江戸川学園取手高等学校から学内推薦枠を希望する生徒は全くいない。また学校としても他大学の受験を奨励する傾向がある。なお、姉妹校には、東京都江戸川区の江戸川女子中学校・江戸川女子高等学校がある。
規律面に関しては、開校以来「規律ある進学校」を目指して努力している。そのため、校則や服装の規定が他校と比較して厳格である。また、同様の理由から「いじめは絶対に許されない」ということをモットーに掲げている。また、同校は後述する実践五項目の中の一つで、「挨拶」を行うように促している。そのため、生徒と教師の間では頻繁に挨拶が交わされている。
なお、2006年単位履修不足問題において本中学校では芸術や道徳の授業の未履修、高校においては倫理の授業など履修していない科目も含め、すべての教科が履修時間に達していないとして、茨城県教育委員会より指摘された。2008年12月には、茨城県労働委員会より、教職員労働組合に対する学校長の威圧的な言動や、組合員教員への賞与査定差別等が労働組合法上の不当労働行為と認定され、救済命令が発せられた。
独自の制度 ネット授業 公式サイト内にある『ネット授業』のページを利用して、学年や教科の枠を超えての学習が可能となっている。毎月月末に更新されている。
マスター奨学制度 (2008年度末より未実施) 例年年度末に実施される『マスター奨学試験』において、理系5教科7科目、文系6教科7科目においてすべて85点以上の成績を修めた者をGマスター、いずれかの科目において85点以上の成績を修めた者をSマスターと認定する制度。ネット授業で学年の枠を超えての学習が可能となったことに合わせて設置された制度で、中等部から高等部まで、申し込みにより全ての生徒の受験が可能となっている。2008年の年度末から行われていない。
飛び級制度 本校における飛び級制度においては、学籍自体に変動はない。成績優秀者が特定の科目(英語及び数学)に限り、本人及び保護者の希望によって1学年上の授業を受けることができるというシステムである。
道徳教育 一般的な“道徳”の科目とは異なる形の道徳教育を行っていることで知られる本校だが、それを支える標語として、『人格を磨けば、学力は伸びる』というものがある。
そのため現在の道徳の授業では学校という集団生活を営む中で道徳的実践力を育成することによる「人格の完成」を目指し、ベテランの教員が「福祉社会について」、「公共心・公徳心を養うために」などの講和を行っている。。
また、これとは別に全学年の各クラスで実施されるロングホームルームでは、各クラスの担任によってこれが行われる。
なお、かつて高橋鍵弥が校長の職にあった頃は、中等部1年生及び高等部1年生の一部(高等部からの入学者)に対して、“彼自身による講話”という道徳の授業が行われていた。生徒はこれを速記し、ノートに清書した上で感想を書き記して提出し、内容によっては何度でも書き直しを命ぜられた。ノートに感想文を書くという点は現在も引き継がれている。現在では高橋鍵弥が校長職を辞している事や履修時間の不足という問題(2006年の単位履修不足問題において、中等部に関しても時間数の不足が指摘された)に対応する必要性が生じたことから、授業方針が変更されている。
現在ではLHRを1単位とする。私学の独自性を生かし、本来1単位一コマあたり50分で行われる授業時間ではなく、始業時間を早め、LHRのときのみ1コマ70分の時間を確保し、その充実を図っている。このように、LHRを1単位、総合的な学習の時間を2単位とし履修単位の不足を補っている。
講演会・コンサート 本校では、生徒の感受性を高め、グローバルスタンダードを身に付ける、という観点から、自由登校日となっている隔週土曜日や、水曜日の総合学習の時間を活用して、年間4-5回講演会やコンサートなどを開催する。各界の著名人が招かれ、さらに生徒の保護者ならばそれを無料で見ることができる(申込制・人数が多い場合はコンピュータによる抽選)。かつては江崎玲於奈や養老孟司の講演、最近では、狂言や能の鑑賞や北野大の講演などが行われた。
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【偏差値70】栄東高等学校(東・医)
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栄東中学校・高等学校(さかえひがしちゅうがっこう・こうとうがっこう) は、埼玉県さいたま市見沼区砂町にある私立中学校・高等学校。
概要 中高一貫教育(ただし、高校課程では中学校からの内部進学者(一貫生)と外部からの入学生(高入生)が同一クラスになることはない)の進学校である。
高入生に限り、「アルファコース」「アドバンスコース」を設置し、一貫生も同様に学力別に学級を分けている。
受験には体力が必要という理由から登校後、下校前、雨以外の毎日、学校の周囲約2.5kmを走ることになっていたが、現在はこのマラソンは行われていない。
また、12月には20kmのマラソン大会が行われていたが、今は男子10km、女子5kmに距離を短縮している。
沿革 1978年 - 埼玉栄東高等学校として、竣工・開校。 1992年 - 栄東中学校の開校とともに校名を栄東高等学校へ改称、中高一貫教育を開始。 1994年 - 共学化。 2002年 - 校舎棟増築建設工事が完了。高校校舎の向かい側にあったさいたま市北区の栄東中学校を移転し、中高が完全統合された(旧栄東中学校校舎には、さとえ学園小学校を新設)。
教育理念 校訓 - 「今日学べ(こんにちまなべ)」 建学の精神 - 「入間是宝(にんげんこれたから)」 分別 2年に進級時に文系理系を希望し、クラスが分かれる。
生徒指導 冬服と夏服は指定された期間には必ず着なくてはならない(ただし、衣替えの前後2週間は移行期間として夏冬どちらの制服でもよい)。頭髪については厳しい。
SHIP SHIPとは栄東インターネットプログラム(Sakae Higashi Internet Program)の略で、USBメモリの認証と各個人のパスワードによってログインが可能になる。行事の写真、学校の手紙を閲覧できる。ちなみに使用料は年間1万8千円。
駐輪場について 自転車通学の場合、駐輪場の利用料は年間7,200円である。これは、年間契約であり、分割支払いすることは出来ない。また、自転車の後ろに貼るステッカーは1枚300円である。
RGBサリヴァン 2009年度まで契約していた学校内予備校。前理事長の故・佐藤栄太郎の発案であり、死去するとすぐにRGBサリヴァンとの契約は打ち切られた。
文化祭 6月に中高合同で行われる。 利益は学校の運営資金となる。 体育祭 6月に上尾陸上競技場で中高合同で行われる。伝統行事としてクラス対抗リレーが挙げられる。 男子マスゲームは中高別で行われ、中学生は全員参加、高校生は2年生以上は有志、1年生は全員参加で行われる。 女子は中高合同でソーラン節が行われる。 体育祭は本来9月の中旬?下旬の間に行われていたが、同校の教育制度改革に伴い、2007年度より6月に実施されることになった。 ただし、生徒数の減少により2008年度より中学生は男女合同での集団演技となった。
文化祭と体育祭の間隔が1週間のみ。理由は、指導方針として「高校3年生は2学期以降は受験勉強に集中して欲しい」との事があるからである。
部活動 野球部は2004年全国高等学校野球選手権埼玉大会において初のベスト8へ進出。さらに春季大会では浦和学院高等学校に決勝戦で敗退したものの準優勝になり、関東大会へ出場した。 テニス部も関東大会に出場した[いつ?]。 アーチェリー部は全国高等学校総合体育大会(インターハイ)常連校である。 コーラス部は2006年から3年連続で中学校がNHK全国学校音楽コンクール全国大会に出場し、2008年には銅賞を受賞している。全日本合唱コンクールにおいては中学校が過去6度(2003、05 - 07、09、10年)全国大会に出場し、金賞2回、銀賞2回、銅賞2回を受賞、高等学校も過去1度(2007年)全国大会に出場し、銅賞を受賞している。 運動部 アーチェリー部・剣道部・テニス部・サッカー部・水泳部・ソフトボール部(高校のみ)・卓球部・チアリーディング部(高校のみ)・バスケットボール部・バドミントン部(高校のみ)・バレーボール部・野球部・ラグビー部(高校のみ)・陸上部・栄東御輿会(高校のみ)
文化部 コーラス部・書道部(高校のみ)・吹奏楽部・茶道部
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【偏差値70】川越東(A特待生)
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川越東高等学校は、埼玉県川越市にある私立の高等学校。
特色 非常に辺鄙なところにあり、陸の孤島と呼ばれている。最寄の駅まで徒歩4~50分、最寄のコンビニエンスストアまで徒歩で30分もかかるので、基本的に昼休みに抜け出してどこかに行くということは皆無である。それ故スクールバスは生徒にとって貴重な足であり[独自研究?]、乗り遅れれば次のバスを一時間待たなければならないことも。 その私立らしからぬ名前から、しばしば公立高校と間違えられることもある。もちろん川越市内にある川越市立東中学校とは無関係である。 学校法人星野学園に属する。 野球部の顧問は元プロ野球選手阿井英二郎が努めている。 かつて[いつ?]は停学になる生徒が5割を超える底辺校であった[要出典]。 星野高等学校と姉妹校である。兄弟で、すでにいずれかの学校に入学した生徒がいるものは入学金が半額になる。 男子校のため、運動部の応援などには星野高等学校のチアリーディング部や吹奏楽部が駆けつける慣わしがある。
翔鷺祭(しょうろさい) 毎年9月に行われる文化祭の名称。クラスや部活動の出し物はごく一般的なものであるが、「おばけ屋敷」については自粛されている。
部活動 運動部 野球部、ソフトテニス部、テニス部、サッカー部、陸上競技部、バスケットボール部、バレーボール部、柔道部、剣道部、卓球部、少林寺拳法部、ラグビー部、ソフトボール部、スキー部、ウエイトトレーニング部、 バドミントン部、アメリカンフットボール部、水泳部
文化部 英語部、吹奏楽部、情報処理部、数学部、生物部、物理部、マンドリン・ギター部、演劇放送部、美術部、新聞文芸部、書道部、映画部、クイズ研究部、化学部、歴史部、囲碁将棋部
アクセス JR川越線南古谷駅よりスクールバス7分 東武東上線上福岡駅よりスクールバス15分 西武新宿線本川越駅よりスクールバス25分 大宮駅よりスクールバス分25分 西武バス治水橋堤防より徒歩 スクールバスは関東自動車が運行している。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値69】国際基督教大学高等学校
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国際基督教大学高等学校(こくさいきりすときょうだいがくこうとうがっこう)は、東京都小金井市にある私立高校。小金井市でも市域の最東端に位置し、三鷹市最西端にある国際基督教大学とは隣接する。ICU高校、ICUHS、ICUハイ、ハイ、また単にICUと呼ばれることが多い。
概要 1978年4月に開学され、現在に至る。 国際基督教大学(ICU)の理念を継承し、世界人権宣言、キリスト教を教育の基本精神とする高校である。特定の教派には拠らず、エキュメニカルであるといえる。校歌はタケカワユキヒデの作曲で、歌詞はすべて英語である。
一学年の生徒数は約240名で、“帰国生・帰国生徒”が全校の3分の2を占める(さらに現地校・日本人学校のどちらへ行っていたかで細分される)。これに対し、日本でのみ教育を受けた生徒は“一般生”と呼ばれる。もっとも一般生の中にも、海外滞在年数・時期等の関係で帰国生認定はされないが海外滞在経験はあるという『隠れ帰国』の生徒も少なからず存在する。そのほか、外国籍や二重国籍の生徒も少数在籍するが、彼らも帰国生や一般生として扱われている。帰国生と一般生が交流してお互い視野を広めることも本校の目標の一つとなっている。
授業は基本的に日本語で行われ、外国語の数名の専任教諭と非常勤講師以外の教員は全員日本人である。国数英の3教科は、入学時に行われるプレースメントテストで3?5段階の到達度別のクラスに分かれて授業が行われる。英語に関しては基本的に固定だが、国語と数学は中間・期末試験の成績に応じてクラスを移動させられる。国語の最も初級のクラスは、海外在留歴の長い生徒のための日本語クラスとして位置づけられている。英語の授業は文法の授業と文学の授業があり、文学の授業はすべて英語で行われる。フランス語、ドイツ語、スペイン語は第二外国語として選択可能なほか、場合によっては第一外国語として学習することも可能である。
制服はあるが、限られた日(入学式など)以外は私服の着用が可能であり、ほとんどの生徒は私服で登校する。
75,869.88平方メートルの広大な校地面積を所有している。これは東京ドームのおよそ1.6倍の広さである。
高校敷地内には食堂・男子寮・女子寮があり、校内には文房具や軽食などを売る売店もある。
部活動では、映画「スウィングガールズ」のモデルにもなった器楽部が有名で、今やBig Bandを形成している。アーチェリー部が強豪として知られている。そのほか、ダンス部は過去に全国大会で多数の賞を受賞、ロック部も音楽界に数々の人を輩出していることで有名である。 野球部は、創立してから30年、夏の公式戦に勝ったことがなくほぼ毎回コールド負けだったのだが、2008年に初勝利をあげた。
行事 当然ながらキリスト教に関係する学校行事が多く、週1回昼休みに校内で自由参加の礼拝が行われるほか、「ペンテコステ礼拝」では、生徒が世界10数か国語で聖書を朗読する。そのほか、自由参加だが、1学期の終りに奄美大島で行われるマリンキャンプや、夏休みに北海道で行われるバイブル・キャンプがあり、冬休みには岩手県で行われるスキーキャンプもある。9月には学校祭(文化祭)や体育祭なども行われる。修学旅行は3年次の4月に行われ、現在の行き先は沖縄本島である。
進学 国際基督教大学高等学校は国際基督教大学の附属校ではないが、同大学へは推薦で進学する道もある。ただし、80名限定で、一定の成績を修めた者またはSATで指定された科目の平均点数が基準点以上でないと内部推薦で受験することはできない。その他の生徒は他大学に進学する。
交通 西武多摩川線新小金井駅より 徒歩15分 JR中央線・西武多摩川線武蔵境駅より 「国際基督教大学」行きバス12分 JR中央線三鷹駅より 「国際基督教大学」行きバス20分 京王線調布駅より バス20分「富士重工前」下車 徒歩12分 2006年4月から武蔵境駅と高校を直接結ぶ生徒専用のスクールバスが運行されていて、専用の割引回数券で乗車できる。この割引回数券は校内の事務室でのみ入手可能であり、片道150円なので通常より割安である。このスクールバスは小田急バスにより運行されているが、専用バスのため青と黄色の派手なオリジナル塗装がされている。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値69】巣鴨高等学校
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巣鴨中学校・高等学校(すがもちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区にある私立男子中学校・高等学校。
概要 硬教育(努力主義、文武両道)を掲げ、中学校は剣道、高校は柔道又は剣道を正規の必修授業科目としている。「全校有段者主義」、「全教科必修主義」を旨とする。かつては風紀が荒廃していた時期もあったが、現在では進学校の一つに数えられる。関係者は「鴨中」「鴨高」、さらに「ガモ」という略称で呼ぶことがある。
5月の大菩薩峠越え強歩大会、7月の館山巣園流水泳学校と蓼科学校勉強合宿、11月の国営武蔵丘陵森林公園マラソン大会、1月の寒稽古等、季節に応じた様々な行事がある。
所在地は東京都豊島区巣鴨ではなく豊島区上池袋。
代表的な行事 大菩薩峠越え強歩大会 大菩薩峠越え強歩大会は5月に行われる。深夜2時から、東京の奥多摩と山梨の塩山との間に位置する大菩薩峠を越える。全校生徒が参加するが、中学1年生にとっては入学以来初めて経験する行事である。日中に歩く場合に比べて多くの危険が伴うため、先生や卒業生がコースのいたるところで生徒の安全を見守っている。天候の良い年には富士山が一望でき、その雄大さを実感することができる。また大菩薩峠には、同名小説を書き残した小説家・中里介山にちなんだ「介山荘」がある。なお、1年ごとに出発地点が交換される。学年ごとに踏破する距離が異なり、2005年に実施された大会では、中学1年生:20.9km、中学2年生/3年生:26.0km、高校1年生:27.0km、高校2年生:33.9km、高校3年生:34.5kmのコースであった。2000年ごろまでは、小河内ダム駐車場?塩山北中学校の42.3kmが高校生のコースであったが、小河内ダム駐車場が利用できなくなったことにより、高校生のコースが短縮された。
巣園流 館山水泳学校 巣園流館山水泳学校は毎年夏休み中に行われる。現在は中学1年生のみ必修となっており、中学2年生以上は自由参加である。古くから日本に伝わる伝統的な日本泳法(そのうちの水府流太田派)を学ぶ場として現在に受け継がれている。
一重伸し、二重伸し、両輪伸しなどの基本泳法から始め、上級班では各種の抜き手も習い、合宿の最後には遠泳が行われる。遠泳では「遠洋、泳洋」の掛け声をかけながら館山湾を横切る。遠泳では両輪伸しで泳ぐことが推奨される。これは、両手は波面のすぐ下をなでるように水平に円を描いて浮力を得、両足は大きくゆったりと前後に開いてから勢いをつけて閉じる「挟み足」から推進力を得る泳法である。両手両足をシンクロさせて一かきするが、一かきするごとに数秒間全身を一直線にして「伸し」をとる。両輪伸しでは手は水を掻かないのでつかれにくく、また「伸し」をとるたびに体を休めることになるので遠泳向きの泳法である。なお巣園流では他の日本泳法各派同様、ほとんどの泳法で頭を水上に出して泳ぐ。 泳法指導のほか最終日の朝に行われる宿舎対抗の歌合戦の指導にも熱が入る。歌合戦は、声量と迫力に重きが置かれるため、毎夜の歌の指導は荒々しい。
蓼科学校勉強合宿 勉強合宿は毎年夏休み中に行われる。長野県蓼科高原にある蓼科学校にて、団体生活を学びながら、普段の授業では触れることのできない分野などを学習する。中学生と新高入生1年が勉強合宿を行う。
創立記念森林公園マラソン大会 創立記念日11月25日を記念して、毎年埼玉県の国営武蔵丘陵森林公園において10km走を行う。全校生必修となっているが、学年によって3分ずつの時間差スタートとしている(制限時間は、中学1年生は90分であるが、高校3年生は75分)。
寒稽古 3学期の授業開始後、ほどなく行われるのが寒稽古である。剣道・柔道・駆け足(高校生のみ)の3種目から成り、早朝、始業前から稽古が始まる。全校生徒の参加が推奨され、中1から高2までの参加率は90%以上、高3も2割の生徒が参加する。生徒の通学域の拡大や実質全校参加である事情を鑑み、実施期間はかつてより負担が軽くなり、現在、期間は6日間。最終日には納会が行われ、豚汁が配られる。
アクセス JR山手線大塚駅より徒歩12分 都電荒川線巣鴨新田停留場より徒歩10分 JR山手線・JR埼京線・西武池袋線・東武東上線・東京メトロ有楽町線・東京メトロ副都心線池袋駅より徒歩15分 都営三田線西巣鴨駅より徒歩14分 JR埼京線板橋駅より徒歩14分 東武東上線北池袋駅より徒歩12分 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値69】桐朋高等学校
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桐朋中学校・高等学校(とうほうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都国立市にある中高一貫校で私立男子校。桐朋学園によって運営されている。
概要 桐朋学園男子部門の一つであり、桐朋女子中学校・高等学校と桐朋学園音楽部門である桐朋女子高等学校とは併設校にあたる。
「桐朋」の名称は東京文理科大学・東京高等師範学校(後の東京教育大学。さらに後、筑波大学)の校章「桐」に由来し、同校との協力の関係を意味する。そのため現在でも、毎年同校からの体育の教育実習の受け入れを行っている。桐を学校名に用いている桐蔭学園、桐光学園両学園とは関係はない。
教育目標 自主的態度を養う 他人を敬愛する 勤労を愛好する
校風 元々軍人子弟養成の学校であったが開校すぐに終戦を迎えた為、軍系列として廃校の危機を迎えた。そこで、旧東京教育大学(現筑波大学)の支援を得て校内を刷新した。全体としては概ね自由な校風にあるといえる。学費などを定めた学則以外に、他校で言うところの校則が存在しない。 生徒においても生徒会や部活動などの自主活動が盛んであり、学生生活の中心となっている。 教職員にあっては教育理念を「教育基本法に則り、民主主義教育の普及徹底を期する」と述べるなど、概してリベラルであり、校長や理事についても教職員の選挙によって選出される。また、桐朋学園男子部門教職員組合は憲法擁護や教育基本法改正反対を掲げている。
桐朋祭 毎年6月上旬の金・土・日曜日に行われている学園祭。この時期に行なわれる理由として、中学1年生を早く学園生活に馴染ませるため・受験態勢に入る高校3年生への配慮などが言われているが、周辺他校と時期が異なることから入場者数は多く、毎年8000名程度と言われる。 2008年度から、生徒の準備が夜遅くまで及ばないようにという配慮で土・日・月曜日に変更された。 他校によくみられるクラス単位や、高校生による学年単位の出し物はほとんどなく、各クラブや有志団体がほとんどである。各クラブ、特に文化系はそのほとんどが何らかの形で出展しており、展示出展などで地学部のプラネタリウム鑑賞、ロケット打ち上げや生物部のクワガタ幼虫の無料配布などが人気が高いが、一番人気は自由研究の展示である。桐朋では夏休みの宿題として自由研究が習慣となっていて、やっつけ仕事として片付ける人もいるが、展示作品の完成度は非常に高く、内容もユーモアに富んでいて大変面白い。[要出典]。一方、露店は有志団体による参加が多く、毎年10以上軒を連ねる。その他、生徒会や保護者会のバザー、実行委員会主催の著名人講演会などがある。 毎年恒例となっているものに「教師かくし芸」というものがある。これはその年の新任教員と希望した教員が参加。手品や楽器演奏・歌唱などが行われることが多い。
スポーツ大会 中学は6月の1回、高校は5月と9月の2回行われ、サッカー、ソフトボール、バスケ、バレー、卓球の5種目(但し中学1年生はバレーを除く)でもってクラス間で争われる。2007年の秋、各競技の代表が走る、150mリレーが行われたが、2008年度以降は行われていない。特に高校には運動会が無いため、貴重なクラス単位での行事である。そのため2年次にはクラスでそろいのユニフォームを用意するのが習慣となっている。大抵のクラスはサッカーユニフォームのレプリカを採用する。
中学修学旅行 例年、学年で東北を巡るという4泊5日の計画で行われる。初日に新幹線で八戸まで行った後、三内丸山遺跡、奥入瀬渓流、龍泉洞、田老、中尊寺などを見学し、再び新幹線を利用して帰京する。基本的にはクラス別行動だが、三日目のみはコース別行動になる。このコースは各自、事前に選択をする。
高校修学旅行 例年、クラスごとに関西、四国、中部、中国各地に2泊したのちに京都に集まり、そこで2泊し帰京という4泊5日の計画で行われる。選択可能な地域としては、大阪、奈良、神戸、広島、四国、石川などがある。修学旅行委員として選出された生徒が、旅行会社(近畿日本ツーリスト)の担当者と相談を繰り返しながら準備を進めていく。その過程は全てクラスの話し合いによって方向性を決めるため、自分たちで決めた旅行になりかなり盛り上がる。2007年度、初の試みとして、鳥取へ行ったクラスもある。
生徒活動 中学・高校にそれぞれ生徒会が存在する。制度上の組織構成は中学、高校とも全く同じである。他校に比べ組織構成が複雑であり、権力が分散されている。原則すべて生徒が自主的に運営する。教職員としては生徒会担当教員がおり会則上生徒会は助言を受けるとされている。しかし、生徒会(特に運営に慣れている高校生徒会)はほとんど教員は介入しておらず、予算などすべて総務委員会などを中心に決定している。
総会 生徒会の最高機関で、全生徒会員による。中学、高校は別々に学期末などに開かれる。中高共通事案については学園総会があるが、中高全体では人数過多のために開催場所がなく、近年は開かれていない。
中央委員会 中学高校の総務委員や各委員会委員長、クラブ評議員会議長以下三役などによって構成される、総会に次ぐ機関である。クラブ・同好会の設立及び改廃など、生徒会運営上の実質的な審議権を持つ。中高の主要役員全員が参加する必要がある為、2008年度1学期までは重大な議案が発生した時しか開かれなかったが、2008年度2学期より総務委員会の方針変更によって生徒会則の規定に則り定期開催されるようになった(会則の規定上、中央委員会は本来1か月に1度以上開催される必要がある)。直属の下部組織には桐朋祭(文化祭)実行委員会や新聞局、スポーツ大会実行委員会、図書委員会などがあるが、上記にあるように最近まで不定期開催であったため、これら下部組織は実質的に独立機関に近く、総務委員会や生徒委員会による監督、介入は不可能になっている。
総務委員会 中高それぞれ8名の委員で構成される。事実上、総務委員長が他校との交流などの際は生徒会長の役割を果たす。実質的な生徒会運営のほとんどを司っており行政に近い役割である。委員長や副委員長は生徒全員の選挙によって選出される。
生徒委員会 各クラスより4名選出され、構成される。中学は72名、高校は84名。クラス委員会と校内自治委員会に分かれ分担して業務を行う。原則対等であるが、全体で活動する場合はクラス委員長が生徒委員会委員長も受け持ち、校内自治委員長が副委員長となる。委員長は互選による。 ただし、高校生徒委員会は校内自治、クラス委員会ではなく、校内の環境など学校生活に関する問題を審議する「日常生活班」、生徒会会則改正に関する問題を審議する「会則改正班」といったような分け方をされており、編成については年度毎に正副生徒委員長が決定している。
会計監査委員会 各委員会や部活動への監査権限を持つ。会計監査時期にしか実質的に活動しない為、存在感は薄いが、図書委員会などと違い完全な独立機関である。会計等、不正審査に関して強い権限を持つが、他の運営に関しては全く権限がなく、主要委員会の中で唯一中央委員会に委員を派遣しない。委員はすべて生徒全員の選挙によって選出される。
部活動・同好会 35のクラブと8つの同好会がある。各クラブはクラブ評議員会に属し、総務委員会などと協議の上で予算が組まれる。ただし、同好会はこれに属さず、予算もない為各会員の自費で運営される。(囲碁班や交通研究部内の班などもそれぞれ独自予算が組まれ、ロッカーや部室も別々であり、他のクラブとは特に変わらない) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値69】中央大学高等学校
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中央大学高等学校(ちゅうおうだいがくこうとうがっこう、英称:Chuo University High School)は、東京都文京区春日に所在する私立高等学校。通称「中大高(ちゅうだいこう)」。
概要 前身は1927年創立の中央大学商業学校。1928年中央大学が最初の付属校として、向学心に燃える勤労青少年のために設立。以来都内私立高校では唯一の独立定時制高校であったが、学校教育法の一部改正に伴い、1989年度入学生から修業年限3年制を実施。その後、1993年度から昼間定時制に移行した。また、それまでの週5日制を2008年度新入生から週6日制に変更した(2,3年生は週5日制維持)。
中央大学後楽園キャンパス内にある。生徒数は男女約500名。当初は各学年2クラス編成で学校全体の人数も240人ほどであったが、2002年理工学部キャンパス3号館の工事終了とともに高校校舎が拡大し、2002年度入学生より1学年4クラスへと増えた。
中央大学の附属校は他に中央大学附属高等学校(小金井市)と中央大学杉並高等学校(杉並区)があるが、付属3校のうち最も古い歴史を持つ。なお、付属3校のうち生徒数は最少である。
校風 校風には中央大学の校風を受け継ぎ、質実剛健・家庭的情味を掲げている。少人数のためアットホームな雰囲気が特徴であり、職員室は開放されている。同学年ならば皆顔見知りであり、生徒と教師もまた親密である。
昼間定時制 1927年の創立時には夜間定時制であったが、1993年より昼間定時制に移行。始業は午前9時45分・終業は午後4時10分であり、全日制に比べ始業時刻も終業時刻もやや遅い。1日6時限授業で週5日制(2008年度新入生から週6日制)であり、大部分の定時制と違い、修業年限は3年である。
全日制との違いはさほど無く、ほとんどの部活は全日制の部会に所属している。何故高校そのものを全日制に切り替えないのかという意見も聞かれるが、高校独自の校庭を持たないことが原因で全日制の設置基準を満たせない為である。なお、体育や運動部の活動は、理工学部アリーナ・外部グラウンド・高校屋上などを使って行われる。始業時間が遅いことは遠隔地からの通学を可能にし、東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県・茨城県と在校生の居住地は広範囲に及ぶ。
カリキュラム カリキュラムは年度によって変動が大きいが、付属の特性を活かして幅広い科目が設置されている。選択授業としては、2年次より中国語やフランス語といった第二外国語の授業が行われ、英検2級対策の講習や他大志望の生徒のための各種受験演習科目も設置されていて、卒業までに約90%の学生が2級を取得する。また高大一貫教育の一環として中央大学から講師を招いた簿記講座を行っており、受講者の多くが在学中に簿記3級・2級を取得する。3年次には文系・理系のコース分けが行われ、コースにより行われる授業が異なる。また、大学の付属という特性を活かして、3学期には進学学部別講座が行われている。2009年度からは、他大学受験クラス(文系)が新設された。
施設・設備 教室は中央大学理工学部後楽園キャンパス内に併設されており、後楽園キャンパス3号館の一部と8号館が高校のスペースである。また、高校だけでの施設では不十分な面もあるため、小石川運動場、文京総合体育館、文京スポーツセンター等を利用することがある。
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【偏差値69】立教新座高等学校
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立教新座中学校・高等学校(りっきょうにいざちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、埼玉県新座市にある男子校の中高一貫校で、学校法人立教学院によって設置されている日本聖公会系のキリスト教主義ミッションスクールである。
所在地 最寄駅は、東武東上線(東京メトロ有楽町線・副都心線直通)志木駅徒歩約12分(バス約3分)、JR武蔵野線新座駅徒歩20分(バス約10分)である。志木駅・新座駅?新座キャンパス間で運行されている立教大学スクールバスも利用可能[2]。
立教学院新座キャンパス内に位置し、立教大学新座キャンパス(観光学部・コミュニティ福祉学部・現代心理学部)が隣接している。
特徴 2000年、中学校併設に伴い「立教新座」に改称されたものの「立教高校」で呼ばれることが多い。制服はあるが、高校生は私服通学が認められているなど、自由な校風の学校(“自由の学府”と自称)である。
学校法人立教学院の系列校である[3]ことから、所定の推薦要件を満たせば内部推薦により立教大学へ進学することが可能である。
中高一貫校化の経緯 中高一貫校化に至った事情として、本校の系列校である立教池袋中学校・高等学校(旧・立教中学校)との関係性がある。立教池袋はかつて本校(旧・立教高等学校)と同一敷地内(池袋)に所在した。
1948年 - 学制改革に伴い旧制立教中学校廃止。新制立教中学校および立教高等学校が東京都豊島区西池袋に開校。 1960年 - 立教高等学校、埼玉県新座市に移転。以後、中高の所在地が異なる状態(池袋に中学、新座に高校)が40年続く。 2000年 - 池袋、新座各々のキャンパスで中高一貫教育を実現すべく、学校名に地名を冠して中高一貫校へ移行する。 立教中学校→立教池袋中学校へ改称、立教池袋高等学校を併設:立教池袋中学校・高等学校に 立教高等学校→立教新座高等学校へ改称、立教新座中学校を併設:立教新座中学校・高等学校に 施設 [編集] 敷地総面積93,608m?[4]のキャンパスには、多数の施設がある。
校舎全景。中央の赤い建物が本館。本館奥の白い建物が2号館・3号館。右端の白い建物が図書館棟。 校舎 [編集] 本館 - 1960年竣工、アントニン・レーモンド設計。高等学校HR教室、事務室、教員室等がある。 2号館・3号館 - 2002年竣工、清水建設施工[1]、佐藤総合計画設計・監理[2]。 2号館 - 中学校HR教室、予備教室がある。 3号館 - 1階が生徒ホール(学食・売店)、2階がPC教室等、3階が理科フロア(実験室、階段教室、準備室)、4階が芸術系フロア(美術室、工芸室、音楽室)・St. Paul's Studioとなっている。
付帯施設 チャペル〈立教学院聖パウロ礼拝堂〉図書館棟 - 1982年竣工、鬼頭梓設計。1階に14万6000冊以上の所蔵がある閲覧室、2階に5つの特別教室や視聴覚教室等がある。 チャペル〈立教学院聖パウロ礼拝堂〉 - 1963年竣工。 緑地 - 2010年竣工。かつて存在した東寮(寄宿寮)跡地にできた。
体育施設 総合体育館 - 1974年竣工。1階にサブフロア・剣道場・ミーティングルーム・階段教室、2階にメインフロア、3階に卓球場がある。 セントポールズ・ジム - 2010年竣工[5]。かつて存在した第一体育館(体操場)・第二体育館(剣道場)に代わる新しい体育館で、体操場、剣道場、体育部部室を有する2階建て[6]。 プレイグラウンド - 2010年竣工。サッカー場北側にできた、人工芝のフットサルコート[5]。 プレイコート - 2010年竣工。かつて存在した東寮(寄宿寮)跡地にできた、人工芝のテニスコート2面[5]。 屋外50mプール 野球場 テニスコート フィールド - トラック(内側)およびラグビー場(外側)で構成。 サッカー場/アメリカンフットボール競技場 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値69】栄東(アルファコース)
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栄東中学校・高等学校(さかえひがしちゅうがっこう・こうとうがっこう) は、埼玉県さいたま市見沼区砂町にある私立中学校・高等学校。
概要 中高一貫教育(ただし、高校課程では中学校からの内部進学者(一貫生)と外部からの入学生(高入生)が同一クラスになることはない)の進学校である。
高入生に限り、「アルファコース」「アドバンスコース」を設置し、一貫生も同様に学力別に学級を分けている。
受験には体力が必要という理由から登校後、下校前、雨以外の毎日、学校の周囲約2.5kmを走ることになっていたが、現在はこのマラソンは行われていない。
また、12月には20kmのマラソン大会が行われていたが、今は男子10km、女子5kmに距離を短縮している。
沿革 1978年 - 埼玉栄東高等学校として、竣工・開校。 1992年 - 栄東中学校の開校とともに校名を栄東高等学校へ改称、中高一貫教育を開始。 1994年 - 共学化。 2002年 - 校舎棟増築建設工事が完了。高校校舎の向かい側にあったさいたま市北区の栄東中学校を移転し、中高が完全統合された(旧栄東中学校校舎には、さとえ学園小学校を新設)。
教育理念 校訓 - 「今日学べ(こんにちまなべ)」 建学の精神 - 「入間是宝(にんげんこれたから)」 分別 2年に進級時に文系理系を希望し、クラスが分かれる。
生徒指導 冬服と夏服は指定された期間には必ず着なくてはならない(ただし、衣替えの前後2週間は移行期間として夏冬どちらの制服でもよい)。頭髪については厳しい。
SHIP SHIPとは栄東インターネットプログラム(Sakae Higashi Internet Program)の略で、USBメモリの認証と各個人のパスワードによってログインが可能になる。行事の写真、学校の手紙を閲覧できる。ちなみに使用料は年間1万8千円。
駐輪場について 自転車通学の場合、駐輪場の利用料は年間7,200円である。これは、年間契約であり、分割支払いすることは出来ない。また、自転車の後ろに貼るステッカーは1枚300円である。
RGBサリヴァン 2009年度まで契約していた学校内予備校。前理事長の故・佐藤栄太郎の発案であり、死去するとすぐにRGBサリヴァンとの契約は打ち切られた。
文化祭 6月に中高合同で行われる。 利益は学校の運営資金となる。 体育祭 6月に上尾陸上競技場で中高合同で行われる。伝統行事としてクラス対抗リレーが挙げられる。 男子マスゲームは中高別で行われ、中学生は全員参加、高校生は2年生以上は有志、1年生は全員参加で行われる。 女子は中高合同でソーラン節が行われる。 体育祭は本来9月の中旬?下旬の間に行われていたが、同校の教育制度改革に伴い、2007年度より6月に実施されることになった。 ただし、生徒数の減少により2008年度より中学生は男女合同での集団演技となった。
文化祭と体育祭の間隔が1週間のみ。理由は、指導方針として「高校3年生は2学期以降は受験勉強に集中して欲しい」との事があるからである。
部活動 野球部は2004年全国高等学校野球選手権埼玉大会において初のベスト8へ進出。さらに春季大会では浦和学院高等学校に決勝戦で敗退したものの準優勝になり、関東大会へ出場した。 テニス部も関東大会に出場した[いつ?]。 アーチェリー部は全国高等学校総合体育大会(インターハイ)常連校である。 コーラス部は2006年から3年連続で中学校がNHK全国学校音楽コンクール全国大会に出場し、2008年には銅賞を受賞している。全日本合唱コンクールにおいては中学校が過去6度(2003、05 - 07、09、10年)全国大会に出場し、金賞2回、銀賞2回、銅賞2回を受賞、高等学校も過去1度(2007年)全国大会に出場し、銅賞を受賞している。 運動部 アーチェリー部・剣道部・テニス部・サッカー部・水泳部・ソフトボール部(高校のみ)・卓球部・チアリーディング部(高校のみ)・バスケットボール部・バドミントン部(高校のみ)・バレーボール部・野球部・ラグビー部(高校のみ)・陸上部・栄東御輿会(高校のみ)
文化部 コーラス部・書道部(高校のみ)・吹奏楽部・茶道部 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値68】西武文理(エリート選抜)
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西武学園文理中学校・高等学校(せいぶがくえんぶんりちゅうがっこう・こうとうがっこう)は埼玉県狭山市にある私立の中学校・高等学校。
概要 文理佐藤学園が運営する私立の中高一貫制で、中学併設前から国公立大学や難関私立大学への合格者を多く輩出している進学校である。
2010年度の東大合格者数は7名で、県内で埼玉県立浦和高等学校、埼玉県立大宮高等学校に次いでの第3位で、埼玉県内の私立高校の中ではトップであった。7年前に開校された西武学園文理小学校とは附属関係にあり、2010年度より文理小学校の第一期卒業生が文理中学校へ上がってくる。
校訓 「Sincerity」「Reliability」「Service」 教育方針として「すべてに誠をつくし最後までやり抜く強い意志を養う」をポリシーとし、文武両道を掲げている。
校風 学校のシンボルマークは熊であり、校内のいたるところに熊(白熊)の像がある。これは「持ちこたえる」、「耐える」の意味のある動詞「bear」にかけたところから来るものであるが、単に校長が熊を好きであるからとも言われている[誰?]。 制服は、男女共にブレザーを着用する。当校は学校の造りからイギリスを模範して創っているため、ワイシャツはオックスフォードシャツを着用し、赤いネクタイを身につける。 校則は厳しく、所持品や生徒の髪形などに規制がある。 小学校から高校まで英語教育を特に力を入れており、小学校から既に『英語』が科目の1つとして含まれており、西武文理小学校からの進学には原則英語検定3級以上を取得が条件となる。 文化祭(文理祭)時には小学校でも同時に活動発表会を行い、中高生と合同での音楽演奏や発表展示を行う。両会場はバスで5分程度離れており、開催中はシャトルバスで連絡する。尚、小学校会場で展示される鉄道模型レイアウトは中学・高校合同による鉄道研究部からの寄贈品であり、小学生の体格・運搬時を考慮して比較的小さめのものが提供されている。 登校時には、毎日広場に教師が4?5人立って挨拶運動をしている。
学科・コース クラスは例えば「1年E2組」「2年A6組」など所属する科を表すアルファベットと数字を組み合わせて付けられるため、クラス名を見れば何科の何コースに所属しているかが直ぐに判る様になっている。
普通科 - いずれも2年時から文理別のコースとなり、一部授業は選択制となる。 文理進学コース(Aクラス) - 高校時から入学した普通科のクラス。 中高一貫コース(Bクラス) - 西武学園文理中学校からの内部進学者の入るクラス。 高校3年間を通して文理進学コースと中高一貫コースが混合することはない。 中高一貫コースには特別選抜クラスが内属している。 高入生のエリート選抜東大クラス(Tクラス)は文系・理系問わずここに所属する。 理数科(Sクラス) - 通常の理数科クラスのみ。基本的に全員が理系であり、近年[いつ?]は3年間通じてクラス替えが行われない。 英語科(Eクラス)
授業 土曜日の授業が第2土曜日を除いて行われている。また一部のクラスでは8時からの0時限授業を取り入れている。長期休業中は多様なゼミを開講している。
文理ウォーク 男子は35キロ,女子は20キロを歩く。途中で飲み物を買うのは禁止である。
文理祭 毎年9月頃に行われる文化祭の通称であり、2日間に渡って開催されている。
体育祭 毎年6月に行われる。 中学・高校・小学校(1・2年)が集まって行われるため、大規模な体育祭となる。
球技大会 例年10月頃に2日間行われるクラス対抗の大会。学科・学年無関係にサッカーやバスケットボールなどの数種類の球技が行われる。 クラスごとにTシャツ等が制作され、普段の生活と違った雰囲気が味わえる。
女子のダンス発表会の時は、学校に残った男子のみで”男祭り”も近年[いつ?]から開催されている。
国際教育・修学旅行 国際教育に力を入れているため、数々の国際交流を行っている。毎年イギリスの名門校イートン・カレッジへの短期留学、アメリカのオハイオ州でのホームステイなどを行っている。 修学旅行は2年次の8月頃に行われる。中学校では毎年イタリアへ行き、高等学校の例年の行き先は海外の英語圏でありここ最近[いつ?]は、高入生はオーストラリアへ、中高一貫生はニュージーランドへ行っている。英語科のみは修学旅行の代わりに、3週間オーストラリアへの語学研修を行っている。
部活動 「文武両道」の精神にのっとり、部活動への加入率は高い傾向にある。なお、2008年度における部活動への加入率は、運動部が63.8%、文化部が14.6%、愛好会(サークル)が15.6%であ。
運動部では、陸上部やライフル射撃部、バスケットボール部、スキー部などが全国大会に出場経験がある。
設備 当校は、埼玉県内で一番の敷地面積を誇り、周りは見渡す限り山や川に覆われており教育の場としての環境はとても優れている。イギリスを模範として造られているため、校舎は全てレンガ造りとなっていて、到る所に英語表記のものがある。グラウンドは6つ存在するのだが、プールが存在しない。また校長の趣味で、彫刻等の美術品が校内の敷地内に数多く置かれている。
通常校舎 高校生が使用する校舎(4階建て)が2棟、中学生が使用する校舎(3階建て・一部4階建て)が1棟あるが、中学校舎のいくつかの特別教室(音楽室、美術室、被服室、調理室、書道室)は中学生・高校生の共用となる。中学校舎1階には購買部があり、昼休憩と放課後に営業する。昼食時のみ開放される食堂スペースがあるが広くはなく、教室で食事を取る生徒が多数を占める。業者による軽食販売が行われるが大多数の生徒は弁当を持参する。 中学・高校とも1階部分にはいわゆる特別教室が多く配置されている。
体育会系施設 体育館は2棟あり、2階建ての『北斗館』は2階が通常の体育館(大規模な集会にも使用)、1階が剣道場・武道場・卓球場となっている。またグラウンドはメイン・サブをあわせて6つ存在するが、入間川河畔と言う立地のため一部グラウンドは徒歩で10分ほど離れている。その他、テニスコート・弓道場(弓道部専用)等を持つほか、隣接する大学のグラウンドを使用することも稀にある。校内にプールが存在しない。
なお、学校行事によってグラウンドを駐車場として利用することがある。
特別教室(上記以外・別棟) IT教育を行うために設置された『I.I.YOU館』。ここではインターネット接続が可能なPCや自習用の個人ブースなどがあり、普段から放課後6時半まで開いている。他には生徒会及び文化系部活が使用するプレハブ棟、体育会系部活が使用するクラブハウス、学校説明会などに使用される『サイエンスホール』、茶道体験等に使用される和室などが存在する。
アクセス 西武新宿線 「新狭山駅」北口より徒歩3分のスクールバス乗場より、スクールバスで8分。西武柏原ニュータウン行き路線バス(新狭11,11-1,11-2)にて西武柏原ニュータウン下車 「狭山市駅」西口より西武柏原ニュータウン行き路線バス(狭山24)にて、終点下車。 西武池袋線 「稲荷山公園駅」よりスクールバスで20分。 西武池袋線・JR八高線「東飯能駅」東口よりスクールバスで25分。 JR埼京線・川越線・東武東上線「川越駅」西口よりスクールバスで20分。 尚、毎朝登校時の川越駅前バス停は長蛇の列ができる。1台のバスに50?60人を入れるほど、詰めて乗車しなければならないほど混雑する。これは帰宅時についても同様である。 かすみ野行き路線バス(川越35)にて、かすみ野下車(かすみ野から本校までは若干の距離あり)。 東武東上線「鶴ヶ島駅」西口から(途中、的場バス停等を経由)スクールバスで20分。 JR川越線「笠幡駅」より新狭山駅北口行き路線バス(新狭11)にて、西武柏原ニュータウン下車。 ただし、上記のスクールバスは学校関係者は施設利用証(通称「バス券」)を購入しなければならない(校内に券売機がある。1枚売りは200円だが、45枚では5000円、90枚では10000円で販売している。鶴ヶ島駅行きのバスは川越観光自動車が、それ以外の路線は西武総合企画が担当している。ただし施設利用証はいずれの会社、路線においても共通である)。
附属校・系列校 附属校 西武学園文理小学校(埼玉県狭山市) 系列校 西武文理大学(埼玉県狭山市) 西武文理大学附属調理師専門学校(埼玉県ふじみ野市) 西武調理師専門学校(埼玉県所沢市) 西武学園医学技術専門学校(埼玉県所沢市)
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【偏差値68】國學院久我山
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國學院大學久我山中学高等学校(こくがくいんだいがくくがやまちゅうがくこうとうがっこう)は、東京都杉並区にある私立中高一貫校。略称は「久我山」(くがやま)。
概要 都内でも有数の進学校でありながら、全国大会に出場する部活が多数あることから文武両道で有名である。杉並区で最も大きい学校である。
進学実績 國學院大學の付属高校ではあるが、他大学受験するものが大半で国立、私立問わず、難関大学に多数進学している。
部活動 部活動も活発であり、ラグビー、野球、サッカー、バスケットボール、剣道、陸上競技、弓道、レスリング、音楽部で全国大会に出場経験がある。
ラグビー部 全国大会の常連であり、優勝回数は5回。
サッカー部 全国高校総体、6回出場(準優勝:1回、ベスト8:3回) 全国高等学校サッカー選手権大会、3回出場(ベスト8:1回)
野球部 全国高等学校野球選手権大会、2回出場 選抜高等学校野球大会、2回出場 元メジャーリーガーで、千葉ロッテマリーンズの井口資仁などを輩出している。
バスケットボール部 全国高校総体、16回出場(ベスト4:1回) 全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会、11回出場(準優勝:1回)
陸上部 全国高等学校駅伝競走大会、17回出場 大学に進学し、箱根駅伝に出場した選手数が日本一である。
最寄駅 京王井の頭線久我山駅徒歩15分 京王線千歳烏山駅から久我山病院行きバス10分「国学院前」下車
制服 冬服 男子:詰襟、女子:セーラー服 夏服 男子:ワイシャツ、女子:セーラー服
文化祭 当校の文化祭、「久我山祭」は毎年1?2万人の人が足を運ぶ。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値68】桐光学園(SAコース)
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学校法人桐光学園(がっこうほうじんとうこうがくえん)は神奈川県川崎市に所在する学校法人である。小学校・中学校・高等学校を併設した校舎は麻生区に、みどり幼稚園及び寺尾みどり幼稚園は多摩区に所在。
設置している諸学校 桐光学園中学校・高等学校 桐光学園小学校 寺尾みどり幼稚園 桐光学園みどり幼稚園
学園へのアクセス 小田急多摩線栗平駅 徒歩15分。 京王相模原線若葉台駅発小田急多摩線黒川駅経由のスクールバスを運行
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【偏差値67】創価高等学校
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創価中学校・高等学校(そうかちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都小平市にある私立の中学校・高等学校。設置者は学校法人創価学園。略称「学園」
沿革 1968年 創価中学校・高等学校開校(当時は男子校) 1982年 男女共学化 1983年 中学校の校舎を新築移転 2012年 高等学校「総合教育棟」完成予定
アクセス 西武国分寺線鷹の台駅下車 徒歩15分
系列校 東京創価小学校 関西創価小学校 関西創価中学校・高等学校 札幌創価幼稚園 創価大学
行事 本校の主な行事は、「栄光の日」、「情熱の日」、「英知の日」における記念集会と「情熱の日」に行われる中学と高校合同の文化祭である。また、東京創価小、創価中、創価高合同の卒業式も創立者である池田大作がほぼ毎年来校し、この模様は関西創価キャンパスと同時中継される。
同窓会 卒業生の集まりとして「鳳友会」(委員長=忍田墓苑公益事業代表理事)がある。 毎年5月、11月には創価教育系列の学校で学んだ卒業生たちが集う「創価教育同窓の集い」が創価大学で行われる。 この模様は、後日全国に衛星中継される。 その他、随時新年や11月などに「学園栄光大会」「○期生大会」等が学園にて開催。
その他 ディベートが盛んな学校であり、全国中学・高校ディベート選手権(ディベート甲子園)において3位以上に入賞した回数は、創価中が7回、創価高が8回という成績を収めている(2007年には、中高アベック優勝を果たしている)。
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【偏差値67】中央大学杉並高等学校
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中央大学杉並高等学校(ちゅうおうだいがくすぎなみこうとうがっこう)は、東京都杉並区今川二丁目にある私立高等学校。略称は「中杉」(ちゅうすぎ)。
概要 1963年4月、目白中学を母体とする中央大学杉並高等学校(現・中央大学附属中学校・高等学校)が小金井に移転後、その校舎と名称を継承し「杉並高校改組委員会」委員長の中央大学文学部教授・鈴木俊を初代校長に迎えて新たに男女別学(男子部と女子部の併設)の高等学校として開設された、中央大学の附属校である。1992年入学の30期生からは男女共学へと移行している。
1学年340名ほど、全校生徒は1000人ほど。毎年中央大学には95%ほどの生徒が進学する。文系・理系の振り分けは3年時に行なわれ、文系の生徒は理工学部に推薦されない。また、3年次の自由選択科目(6単位)を履修しないと、中央大学へ推薦されない(放棄とみなされる)。法学部には毎年100人弱が推薦される。また、国公立大学と私立大学の中央大学にない学部・学科・コースは中央大学と併願して受験できるが、入学金は前納であり、また他大学受験に失敗した場合は必ず中央大学に進学しなければならない。
姉妹校として、中央大学の附属高校の中央大学附属高等学校(小金井市)と中央大学高等学校(文京区)がある。またオーストラリアのユニティ・カレッジも姉妹校協定を結んでいる。
制服は1991年度入学生から、文化勲章受章者の森英恵がデザインしたもの(男女ともブレザー)に改定されている。旧制服は男子が詰襟、女子はスーツのスタイルであった。
正面玄関上に、テミス像が設置されている。
交通 西武新宿線上井草駅 徒歩12分 JR中央線 西荻窪駅 徒歩20分または関東バス「今川二丁目」下車 徒歩3分 JR中央線 荻窪駅 徒歩30分または西武バス・上井井草駅経由 石神井公園駅南口・長久保行きの「総合荻窪病院前」下車 徒歩1分
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【偏差値67】中央大学付属高等学校
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中央大学附属中学校・高等学校(ちゅうおうだいがくふぞくちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都小金井市にある中央大学の設置する私立の中学校・高等学校である。生徒数は約1,500名。学校の略称は中附(ちゅうふ)。
中央大学の附属校のうちで最も生徒数が多い。旧制目白中学を母体としている。
校風 目白中学校以来の国際的な校風と同校以来の校訓「質実剛健」を基盤とし、中央大学附属高等学校の特色は「個人の尊厳を尊重し自由に個性を伸ばす」ことを最も重要な教育方針としてきた。
旧制目白中学校・旧制杉並中学校・杉並高校時代には「目白の丘にその昔たてし理想をうけつぎ強く正しく培える杉並高く今茂る 文化の光暖かに自治の心を育みて清く明るく生いたてる桂の若葉今匂う」等の校歌が存在していたが、中央大学附属高校へ合併・移転以降、独自の校歌を廃した。したがって、式典や硬式野球部の大会時に使用されるのは中央大学の学歌である。
大学進学において、中央大学(約9割が進学)のみに限定されず、他の国公立大学・私立大学にも自由進学が担保(特に中央大学の設置していない学的領域(discipline)は優先・優遇)される。中央大学進学の優先権を保持したまま他大学への併願受験・進学・進路の自由の担保をその特色としている。なお、中央大学内部進学者の優先と、他大学で同一学部を有する大学への進学の際には中央大学内部進学の推薦の優先権の放棄化への変更がなされている。
制服 学校が指定した制服は存在しない。1970?1990年代前半までは自由な校風の象徴である私服通学が人気を集める要因であったが、それ以降、とりわけ共学化後の女子生徒は“制服で通うこと”をステータスと感じる者が増加しており、個人で用意した思い思いの制服(いわゆる“なんちゃって制服”)を着用しており、「私服」のみを理由として志望・入学する生徒はわずかである。なお、学生服は生協で購入できる。また、硬式野球部など一部の運動部は、現役の間だけは制服を着用するのが不文律になっている。
生徒自治の伝統 現在は学生運動の衰退により生徒主体の自治体制が弱体化したが、教職員により継続されている。また、「日の丸」「君が代」問題で典型的な「式典」の形式(校歌演奏と学校長式辞などでの国歌斉唱はない)が復活し、中央大学からの連携については、より限定化が促進された。
特色がある現代文教育 1.現代文の授業では、毎年度国語科で決定したテーマに沿った名著を用い、生徒が教諭とともに読み解いていく形式をとっている。ある程度期間が決まっているものの、学期にとらわれず進行していく。 2.上記のテーマに合わせて、学期ごとに10冊程度の課題図書を課せられる(生協でセット割引価格で購入できる)。毎テスト30点分の選択問題が出され、読み込んでおかないと解けないものがある。最終的に卒業までに強制的に100冊の本を読むことになる。 3.それらの経験を活かし、コースにもよるが、3年次に論文を書かせる授業がある。生徒自身がアイデアを決定し、数度の添削を経てアウトラインを作成し、1・2年次で学習した参考資料の検証などの考え方を論文に活かすための授業を経て、生徒自身が様々な方法を模索しながら論文を執筆していく。期間中には何度かプレゼンを行う。優秀作品が『蒼穹』という冊子に掲載される。
交通 JR中央線武蔵小金井駅 より徒歩18分、または京王バス 5分「中大附属高校」下車すぐ 上記以外にも花小金井駅から徒歩、また2010年4月から 小平駅より 銀河鉄道バス「中大附属中学・高校」下車すぐ での登校も可能になった。
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【偏差値67】明治大学付属中野八王子
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明治大学付属中野八王子中学校・高等学校(めいじだいがくふぞく なかのはちおうじちゅうがっこう・こうとうがっこう)は東京都八王子市戸吹町にある私立中学校・高等学校。
概要 明治大学の付属校の一つで、俗称は「明大中野八王子」、「明中八王子」、「明八(めいはち)」。 一部に”めっぱち”と言う人もいるがこちらはほとんど浸透していない。
明治大学付属ではあるが、中野校・八王子校ともに学校法人中野学園という別法人で、実質上系属校である。付属校は明治高校のみである。 1984年に中野学園創立55周年事業として設立。当初は男女別学で男子部・女子部に分かれており、食堂やスクールバスも男女別だったが、1992年頃から共学化に向けた準備が始まり、1994年に完全共学化がなされている。 中高一貫制だが、高校からの入学者も120名前後受け入れている。兄弟校には明治大学付属中野中学校・高等学校がある。 学校創立当初は明治大学への推薦枠に制限がかかっていたため進学率は60%前後だったが、現在では80%以上の生徒が内部進学している。また、国立大や他の有名私大に進学する卒業生も多い。 女子の制服は2度変更されており、現在の制服は3回目のものである。
施設 滝山自然公園、秋川丘陵自然公園に隣接した約7万坪の広大なキャンパスに、両翼90m、センター120mのスタンド付野球場、50m・25mプール、400mトラック、国体使用可能なテニスコート3面、バスケットコート2面の体育館及び、武道館、1500人収容の片桐講堂、各種の特別教室、約3万2000冊の蔵書やDVDのある図書室等、多様な設備がある。また、2009年9月には、校庭の全面人工芝化が完了した。 メディアへの登場 2002年、ネスレ「キットカット」のCM(鈴木杏出演)に、3号館1階、屋上、グラウンド等が登場。 2005年、「あいのうた」(菅野美穂主演)に、2号館1階の教室、下駄箱等が登場。 2005年、m-floloves加藤ミリヤの「ONE DAY」のプロモーションビデオに、3号館3階の教室、3号館下駄箱等が使用され、本校の生徒(高校生の希望者)と教師がエキストラを務めた。
運動部 ゴルフ部 5年連続全国大会出場、ジュニア日本代表等を輩出。 野球部 全国高校野球選手権大会西東京大会 1999年・2005年準優勝 その他テニス、ラグビー、水泳、陸上、卓球各部の全国大会等への出場など、活発に活動している。
文化部 写真部の全国大会での活躍等が有名。 その他 1990年、日本テレビ系「第10回全国高等学校クイズ選手権」に東京都代表として、全国大会へ出場。 2008年12月、TBSお正月番組の企画により、ダンス部の女子部員3人が片桐講堂にて、生徒の前で東方神起と共演。
交通 自家用車時代のカラーリングを引き継いだ現在のスクールバススクールバス 在校生は、学校まで京王八王子駅西口近くの国道20号線(JR八王子駅から徒歩約7分)・JR秋川駅からスクールバスが出ており、ほとんどの生徒がこれを利用する(八王子からは25分〜1時間、秋川からは10〜20分程度)。 かつてはスクールバスを自家用車として保有しており、車体が当時関東地区ではほとんど見られない西日本車体工業架装ということで一部のバスファンからも注目を集めていた。これらの車両は1994年に運行委託のため西東京バスに移籍した後、一部はさらに沖縄県の路線バス会社であった琉球バス(現琉球バス交通)へと転じている。 路線バス JR中央線八王子駅北口6番乗り場、または京王八王子駅3番乗り場より、西東京バス(サマーランド行き・秋川駅行き・武蔵五日市駅行き約35分)にて「上戸吹」バス停下車徒歩10分 JR五日市線秋川駅北口より、西東京バス(京王八王子行き約10分)にて「上戸吹」バス停下車徒歩10分 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値67】栄東(アドバンスコース)
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栄東中学校・高等学校(さかえひがしちゅうがっこう・こうとうがっこう) は、埼玉県さいたま市見沼区砂町にある私立中学校・高等学校。
概要 中高一貫教育(ただし、高校課程では中学校からの内部進学者(一貫生)と外部からの入学生(高入生)が同一クラスになることはない)の進学校である。
高入生に限り、「アルファコース」「アドバンスコース」を設置し、一貫生も同様に学力別に学級を分けている。
受験には体力が必要という理由から登校後、下校前、雨以外の毎日、学校の周囲約2.5kmを走ることになっていたが、現在はこのマラソンは行われていない。
また、12月には20kmのマラソン大会が行われていたが、今は男子10km、女子5kmに距離を短縮している。
沿革 1978年 - 埼玉栄東高等学校として、竣工・開校。 1992年 - 栄東中学校の開校とともに校名を栄東高等学校へ改称、中高一貫教育を開始。 1994年 - 共学化。 2002年 - 校舎棟増築建設工事が完了。高校校舎の向かい側にあったさいたま市北区の栄東中学校を移転し、中高が完全統合された(旧栄東中学校校舎には、さとえ学園小学校を新設)。
教育理念 校訓 - 「今日学べ(こんにちまなべ)」 建学の精神 - 「入間是宝(にんげんこれたから)」 分別 2年に進級時に文系理系を希望し、クラスが分かれる。
生徒指導 冬服と夏服は指定された期間には必ず着なくてはならない(ただし、衣替えの前後2週間は移行期間として夏冬どちらの制服でもよい)。頭髪については厳しい。
SHIP SHIPとは栄東インターネットプログラム(Sakae Higashi Internet Program)の略で、USBメモリの認証と各個人のパスワードによってログインが可能になる。行事の写真、学校の手紙を閲覧できる。ちなみに使用料は年間1万8千円。
駐輪場について 自転車通学の場合、駐輪場の利用料は年間7,200円である。これは、年間契約であり、分割支払いすることは出来ない。また、自転車の後ろに貼るステッカーは1枚300円である。
RGBサリヴァン 2009年度まで契約していた学校内予備校。前理事長の故・佐藤栄太郎の発案であり、死去するとすぐにRGBサリヴァンとの契約は打ち切られた。
文化祭 6月に中高合同で行われる。 利益は学校の運営資金となる。 体育祭 6月に上尾陸上競技場で中高合同で行われる。伝統行事としてクラス対抗リレーが挙げられる。 男子マスゲームは中高別で行われ、中学生は全員参加、高校生は2年生以上は有志、1年生は全員参加で行われる。 女子は中高合同でソーラン節が行われる。 体育祭は本来9月の中旬?下旬の間に行われていたが、同校の教育制度改革に伴い、2007年度より6月に実施されることになった。 ただし、生徒数の減少により2008年度より中学生は男女合同での集団演技となった。
文化祭と体育祭の間隔が1週間のみ。理由は、指導方針として「高校3年生は2学期以降は受験勉強に集中して欲しい」との事があるからである。
部活動 野球部は2004年全国高等学校野球選手権埼玉大会において初のベスト8へ進出。さらに春季大会では浦和学院高等学校に決勝戦で敗退したものの準優勝になり、関東大会へ出場した。 テニス部も関東大会に出場した[いつ?]。 アーチェリー部は全国高等学校総合体育大会(インターハイ)常連校である。 コーラス部は2006年から3年連続で中学校がNHK全国学校音楽コンクール全国大会に出場し、2008年には銅賞を受賞している。全日本合唱コンクールにおいては中学校が過去6度(2003、05 - 07、09、10年)全国大会に出場し、金賞2回、銀賞2回、銅賞2回を受賞、高等学校も過去1度(2007年)全国大会に出場し、銅賞を受賞している。 運動部 アーチェリー部・剣道部・テニス部・サッカー部・水泳部・ソフトボール部(高校のみ)・卓球部・チアリーディング部(高校のみ)・バスケットボール部・バドミントン部(高校のみ)・バレーボール部・野球部・ラグビー部(高校のみ)・陸上部・栄東御輿会(高校のみ)
文化部 コーラス部・書道部(高校のみ)・吹奏楽部・茶道部
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【偏差値66】八王子(文理特進)
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八王子高等学校(はちおうじこうとうがっこう)は、東京都八王子市台町にある私立の高等学校である。略称「八学(はちがく)」。
沿革 1928年4月1日 多摩勤労中学として設立。 1933年4月 八王子中学校に改称。 1935年 文部省から認可される。 1948年 学制改革により八王子高等学校に改称。 2008年 創立80周年記念式典
設置コース 文理特進コース(2009年度よりA・Bの区分が撤廃され統合) 文理進学コース 文理普通コース 英語コース 芸術コース 音楽専攻 美術専攻
部活動 体育系ではバスケットボール部がインターハイ8回出場(2010年には初優勝)、ウィンターカップ5回出場、文系では吹奏楽部が多くのコンテスト・コンクールでの金賞受賞や第35回ウィーン世界青少年音楽祭吹奏楽部門第1位・ウィーン大賞受賞などの成績を残している。
交通 JR中央線西八王子駅 徒歩5分
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【偏差値66】法政大学高等学校
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法政大学中学高等学校(ほうせいだいがくちゅうがくこうとうがっこう)は、東京都三鷹市牟礼にある私立中学校・高等学校。中高一貫共学校。設置者は学校法人法政大学。略称は「法政高校」などである。
概要 「確かな学力と豊かな人間力を育てること」、「自治の精神にあふれた規律ある学校、大学と連携し、地域とともに歩む学校をつくること」を目標として掲げている。スポーツ面においては高校野球やラグビーなどで実績がある。
2007年度に吉祥寺東町から東京女子大学牟礼キャンパスの跡地へ移転し、同時に男女共学となった。名称は法政大学第一中・高等学校から法政大学中学高等学校と変更。
2006年度には文部科学省が指定する「スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール(Super English Language High School)」の指定校になった。生徒会が主催する学園祭「プラタナス祭」は雑誌にも掲載され、毎年1万人の人出を集める人気イベントである。
法政大学への推薦 法政大学には、高校での成績が一定基準に達していれば進学できる。各学部への希望は、高校3年間の総合成績等の成績上位順に決定される。2009年度(2010年3月卒業)は卒業生の85.6%が内部進学した。 他大学を受験する場合、2006年度の高3生までは国公立大学以外を受験すると、内部推薦入学の権利を放棄しなければならなかったが、2007年度の高3生からは、法政大学への内部推薦入学の権利をもったまま全ての大学を受験することができるようになった。 他大学への進学者は少ない。内部生用のカリキュラムでしか行っていないため、他大学受験指導は行っておらず、一般受験をするには厳しい。国公立大学に進学する者は毎年若干名である。
交通 京王井の頭線井の頭公園駅または三鷹台駅からそれぞれ徒歩10?15分。 JR吉祥寺駅から徒歩20分。
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【偏差値66】淑徳(スーパー特進)
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淑徳中学校・高等学校(しゅくとくちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都板橋区に所在する私立学校である。学校法人大乗淑徳学園の本校であり姉妹校には、淑徳与野中学校・高等学校(埼玉県さいたま市)や淑徳巣鴨中学校・高等学校(東京都豊島区)がある。
進路別コース制 留学コース (高校一年次より一年間、世界4カ国20校ある提携校へ海外留学) スーパー特進(東大進学)コース (難関国公立大学や医歯薬系大学への合格養成) 特進コース 進学コース
学園生活 校門から続くレンガ造りの歩道、芝生の校庭など緑も多くお洒落なキャンパスである。テレビ朝日「ベストフレンド」などの学園ドラマなどテレビ番組の撮影場所にも使われたことがある。 制服は男女共にファッションデザイナー花井幸子が担当し、三越が販売。受験生や保護者からの評判も良い。 部活動は柔道部やソフトボール部等が強豪であり、特に女子柔道は全国高校総体準優勝の実績もある。卒業生には北京五輪日本代表中澤さえや岡明日香らがいる。 放課後や夏休みなどに自由参加のゼミナール授業が行われ、通常授業の補講的役割から大学受験の講座まで内容は幅広く、現役予備校講師の授業もある。また土曜日には中国語・韓国語の講座が開かれ、レッスン料は無料である。 体育祭は毎年東京体育館(渋谷区千駄ヶ谷)や代々木競技場(渋谷区神南)にて全学年参加で行われる。 2005年に設置された、スーパー特進(東大)コース1期生(2008年3月卒業)の進学状況は、東工大に現役で2名合格者を輩出したものの、東大合格者はいなかった。
行事 花祭り(4月下旬、釈尊の誕生を祝う式典) 増上寺研修(5月、高校三年次港区の増上寺にて宿泊研修) 体育祭(6月上旬?中旬、近年は国立代々木競技場を多用) 精霊会(6月下旬?7月上旬、その一年で亡くなった魂を供養する式典) オレゴンサマーキャンプ等、海外研修(夏休み 希望者のみ) 文化祭(9月中旬) 成道会(11月中旬、釈尊が悟りを開いたことを祝う式典) 涅槃会(2月中旬、釈尊がなくなった日) 合唱コンクール(2月中旬)
交通 東武東上線ときわ台駅徒歩13分 国際興業バス 赤53「赤羽駅西口行き」で「前野小学校前」下車(乗車6分、徒歩3分) 都営三田線志村三丁目駅徒歩13分 JR赤羽駅 国際興業バス 赤53「ときわ台駅行き」で「前野小学校前」下車(乗車17分、徒歩3分) 西武池袋線練馬高野台駅 午前7時30分頃にスクールバスに乗車することができる。
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【偏差値66】城北高等学校
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城北中学校・高等学校(じょうほくちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都板橋区東新町に所在する私立中学・高等学校。
概要 府立四中(現・東京都立戸山高等学校)で、40年間校長を勤めた深井鑑一郎を創設者として、元教員やOBらにより開校された。
戦前の開校から、旧制高校や士官学校への進学をめざす校風であったため、現在でも伝統的に人格形成や大学進学教育に力を入れている。また、先取り授業や文理分け(高2-3年)など、旧制中学式の制度を継承している。校地は約1万2千坪で、卒業生は3万人を越える。東京北部の進学校である。
交通 東武東上線上板橋駅南口より徒歩10分 東京地下鉄有楽町線・副都心線・西武有楽町線小竹向原駅1番出口より徒歩20分 関東バス・国際興業バス(高円寺駅北口 - 赤羽駅東口)「小茂根」バス停より徒歩10分 生徒は許可を得れば小竹向原駅から自転車通学をすることができる。
校風・教育 初代・深井校長が、長く四中で教育方針とした「着実・勤勉・服従」を「自主」に直して、校訓とした。東京都立戸山高等学校の学校案内では「本当の自分になる戸山」、城北では「自分(君)らしく生きる、学ぶ」(心身ともに健全で自律的な生徒)と題されている。 毎日、授業の前に約1分間、目を閉じ、姿勢と呼吸を正す「静座」を行う。開校から続けられているもので、1年行うことで1日分の時間に値すると言われる[誰?]。 2代・近藤校長の「体を動かさなければならない」という考えから、戦前は池袋・上板橋間の歩行登校、戦後は豊島園などのマラソン大会、21世紀になってトレッキング(競歩)が行事として行われている。 中学入試は他校と同一の2月1日(募集120名)と、併願が可能な2月2日、4日(160名)があり、2月11日の高校入試(90名)では、国公立高校の合格発表日まで入学手続き金の延納手続きができる。中学の補欠合格者は、連続受験者が優先されている。 1980年代の担任6年持ち上がりから、1997年(平成9年)に3期制が取られ、中3より選抜クラスが設けられた。1990年代までは一貫生(中学入学生)・一般生(高校入学生)と呼ばれたが、現在は中入・高入生などの呼び方が一般的になった。 都立校を母体とするが、公立での勤務経験がある教員は少数派である。近年では、芸術科を除く教科から校長・副校長・教頭が出されている。
城北祭 体育祭は9月半ばに、文化祭は9月末に行われる。かつては連続して催された時代もあった。 正門のアーチは1946年(昭和21年)の第1回より60年、中学生の理科発表は約30年、校舎の垂れ幕と図書委員会の古本市は20年以上続いている。ラジオ部や、OBが演奏の指揮・編曲なども行う吹奏楽部、前年度の展示を翌年冊子にして配布する地理部などの方式が、長く続いている。 1981年(昭和56年)、後夜祭で行われた人間イスが、約1ヶ月間ほどギネスブックの世界記録を更新した。また、2001年(平成13年)頃には文化祭実行委員会に地域振興部門が設けられ、町内会の御輿を担いだり、後夜祭で盆踊りが行われた。 講堂で行われる少林寺拳法部の模範演技は、学校説明会でも披露されるほか、弓道部では本物の弓と矢を使っての風船割りが体験できる。 2000年(平成12年)頃より、来場者が出演するミスコンが行われている。 1989年(平成元年)までは、パンフレットのカット絵を漫画研究同好会が担当していたが、翌年から写真となった。パンフレットにある城北祭の回数は、元々は開校×年目を指すもので、実際の回数よりも5回ほど多い。 以前は同日開催であったが、近年は9月第2土日に東京都立戸山高等学校、3週に城北埼玉高等学校、4週に城北高等学校と分散されている様である。
部活動 文化部と運動部員の比率は、高校が3対7、中学は2対8(2008年入学案内)である。 1954年(昭和29年)より13年間は、毎年いずれかの体育部が国体・全国大会への出場を果たした。 部誌の定期刊行が長い団体は地理部・鉄道研究部・漫画研究部、連続入賞団体として囲碁将棋部・吹奏楽部、公演団体としてはグリークラブ(声楽部)などがある。吹奏楽部の定期演奏会は、4月5日前後(こよみの「清明」、第2代近藤薫明校長の命日)に行われている。 1996年(平成8年)頃には、卒業記念の寄贈として運搬用の軽トラックが購入された。 ホームページの登場は生徒会(閉鎖)、文化祭実行委員会(休止)、水泳部(閉鎖)、ラジオ部、弓道部、グリークラブ、アメリカンフットボール部、吹奏楽部などが早く、中には学校のサイト(2000年設置)より早いものもあった。 存在する部活 運動部 - 剣道部、サッカー部、柔道部、少林寺拳法部、水泳(水球)部、スキー部、卓球部、テニス部、バスケットボール部、バレーボール部、野球部、ラグビー部、陸上競技部、山岳ワンゲル部、自転車部、バドミントン部、アメリカンフットボール部、弓道部、ハンドボール部(全19部) 文化部 - 化学部、生物部、地学部、物理部、歴史部、地理部、美術部、吹奏楽部、グリークラブ、弦楽部、書道部、語学部、ラジオ部、囲碁将棋部、鉄道研究部、演劇部、写真部、釣り部、映画研究部、数学研究部、クイズ研究部(全21部) このほかにも同好会などが多数存在。かつてはボート部が存在し、部室が残っている。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値66】学習院高等科
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学習院中・高等科(がくしゅういんちゅう・こうとうか)は、東京都豊島区目白一丁目に所在する私立中学校・高等学校。学習院中・高等科は略称であり、正式には中等科と高等科に分かれている。
概要 1877年、主として華族子弟のための学校として開校された、120余年の歴史を有する伝統校である。1947年に宮内省管轄を離れ、私立学校となる。財団法人学習院を経て、1951年に学校法人学習院となり現在に至る。
なお、現在の学習院高等科は旧制学習院中等科の系譜を継ぐ教育機関である。学制改革以前にも同名の旧制学習院高等科という教育機関が存在したが、旧制高等科は学習院大学に改組されている点から、旧制と新制の学習院高等科は、全く別の教育機関である。旧制高等科は高等教育課程を担っていたのに対し、新制高等科は後期中等教育を実施する。
課外活動としてはクラブ活動を推奨しており、陸上ホッケー部が2005年に29年ぶりにインターハイに出場するなど全国大会に出場するクラブもある。他には漕艇部[1](ボート部)などがインターハイに出場する機会が多い(漕艇部は1990年にはシングルスカル(一人乗り)でインターハイの決勝へ進出している。)。2006年は漕艇部が近畿総体(インターハイ)へ出場し、準々決勝に進出した。2007年も漕艇部はインターハイに出場し準々決勝に進出した。
学校の特色 都内では有数の広大な校地と各種施設を有し、緑豊かな自然に囲まれた教育環境である。学習院全体の大きな教育目標である「ひろい視野」「たくましい創造力」「ゆたかな感受性」の実現を目指し、中等科・高等科とで中高一貫教育を行っている。
ただし、校則の厳しい初等科や中等科に比べ、高等科は義務教育の修業年限を終えた者たちの集まりの場と位置づけられており、個性や可能性の芽を存分に発揮できる環境を実現するため、学生の行動については本人の自己責任を重んじる方針が採られている。よって、世間で想像されているよりも遥かに自由な校風である(例:金髪、パーマ、ピアスは問題とされない)。
高等科への内部進学 中等科から高等科へは約95%が推薦で進学する。中等科3年時までの学業成績、操行、出席日数が基準となる。例年約200名中数名が成績で基準を満たすことができず高等科非推薦となる。また高等科推薦を辞退して慶應、早稲田、国立大学附属高に進学するものも数名いる。
学習院大学への内部進学 進学基準 高等科での学業成績、実力試験、学科が指定する科目の成績、出席や態度を加味する。 成績については、3年次の学業成績の平均点が60点以上で、50点に満たない科目が3年次2科目以内であり、実力試験において平均40点以上であることが基準である。 2年次までの学業成績は、平均点が一定の点数を切る場合に限り、借点として3年次の学業成績の平均点から減算されるが、基本的に影響はない。 また、3年次の学業成績の平均点と実力試験の平均点の和が120点以上あれば、ほぼ確実に希望の学科に進学できる。 しかし、出席や態度・素行(懲戒を受けるなどの非行)によっては上記の点数に関係なく、推薦を受けられないことがある。
実力試験 学習院大学に進学を希望する者は全員、受験しなければならない。(他大学に進学を希望する者も、9月の試験は受験する) 3年次の9月と1月の2回、行われる。1回目は高等科・女子高等科それぞれ単独で、2回目は女子高等科と共通の試験を受験する。 実力試験における平均40点の要件は2回とも満たす必要はなく、つまり、2回分を合算して80点であればよい。(各回平均点の小数点第一位は四捨五入された上で算出された2回の平均点でさらに小数点第一位を四捨五入して40点を満たせばよいため、39.5点が最も効率の良い点のとり方となる。ex)39.5点と38.5点が最も効率がよい)
他大学への進学を希望する場合 11月下旬に学習院大学推薦辞退届を提出する。これは撤回できない。そのため、受験の結果によっては内部進学を後から選択するなどということはできない。しかし、近年普及してきているAO入試のうち、合否が11月下旬までに判明するものについては、たとえ不合格であったとしても内部進学を選択することができることになった。
進学状況 高等科から学習院大学へはおよそ6割程度が進学を希望している。各学科には定員があるが、大部分の生徒は希望する学科への進学ができている。 法学部、経済学部に進学する者が多数である。 学習院大学以外の主な進学先に、東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学がある。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値66】日本大学第二(B)
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日本大学第二中学校・高等学校(にほんだいがくだいにちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都杉並区天沼一丁目にある男女共学の私立中学校・高等学校。中高一貫制。略称は「日大二中・二高」、「日大二」。
概要 本校は日本大学の特別付属校であり、正付属校とは異なる。したがって学校法人は学校法人日本大学とは異なる。日本大学第二学園が日本大学と契約して付属校となっている。日大系列校の中では進学校としての意識が強く、およそ7割の生徒が意欲的に他大学への進学を目指している。伝統的に自由な校風で、体育大会・文化祭など生徒が中心となって行う行事も多い。現在の制服は男女ともにブレザー(夏・冬で多少異なる)である。閑静な住宅街にあり、構内にある銀杏並木は杉並区保護樹林に指定されている。教育理念は「信頼敬愛」「自主共同」「熱誠努力」。高校部校長は林俊雄(2008年現在)。
交通 JR中央線・東京メトロ丸ノ内線 荻窪駅 徒歩またはバス
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【偏差値66】桐蔭学園男子部理数科
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桐蔭学園中学校・高等学校(とういんがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、横浜市青葉区に所在する私立中高一貫校。運営は学校法人桐蔭学園。
概要 中学高校ともに男子部と女子部があり、校舎などエリアが分かれている男女別学である。しかし、高校3年では、男女ともに高3専用校舎の「進学棟」に移り、コース別編成授業を採るため、授業のみ男女共学となる。 高等学校男子部には、一学年に理数科6クラス・普通科12クラス(2009年度入学の46期普通科は10クラス)が設置されており、生徒数では国内第2位の巨大マンモス校である(ちなみに生徒数最多の高校は作新学院高等学校)。以前は男子部・女子部の高校1学年の生徒数だけで1,600人以上在籍していた(当時は男子部・女子部合計で、33クラスあり、内訳は理数科9クラス、普通科23クラス、ドイツ桐蔭帰国クラス1クラス)。 女子部には女子中等教育コース(中等教育学校とは異なる)と従来型の女子中学/高校コースがある。また普通科のみの中で普通コースと理数コースの二つのコースが設置されている。 原則として能力別の授業編成を行っており、年に4回(前期中間、前期期末、後期中間、学年末)、それぞれの定期考査の成績によりレッスンルーム(能力別に編成された授業集団。通称、レッスン/LR)の入れ替えが行われる(ただし、次学年への進級に伴うレッスン移動では校内実力テストの成績も加味することがある)。HRは3年間同じである。 夏期研修期間(実質夏休み)の直後に夏期研修課題確認テストが行われる。このテストは9月に行われる前期期末考査の一部となっており、前期期末考査一科目100点満点中15点が割り当てられる。そのため、定期考査や実力テストなどの中で唯一前期期末考査だけは一科目85点満点となっている。 服装や頭髪などの指導が厳しく、定期的に検査などもしている。ただし高校になると指導の基準は大分緩やかになる。 開校当初は生徒集めに苦労し、現在の学園幹部が周辺地域への戸別訪問を繰り返したこともあったという。その後野球部が甲子園で優勝したことを契機に学校宣伝を積極的に行い、生徒を集めた。 いわゆる自宅外生の受け入れも行なっており、鉄町の学園敷地内と学園の近隣数ヶ所に生徒寮を有している。 大阪桐蔭中学校・高等学校とは系列関係にない。
大学合格実績 90年代には東京大学の合格者が100名、早稲田大学、慶應義塾大学の合格者がそれぞれ400名を超え、部活動でも好成績を残すなど、「文武両道」の良いイメージを広めることに成功したが、東大合格者数は桐蔭学園中等教育学校も含めた総数で2007年33名、2008年26名、2009年 20名、2010年 15名と漸減傾向にあり、他の難関大学に対しても同様のため、合格実績の立て直しが急務となっている。
沿革 1964年(昭和39年)4月 - 学校法人桐蔭学園設立。桐蔭学園高等学校開設。 1966年(昭和41年)4月 - 桐蔭学園中学校開設。 1971年(昭和46年)4月 - 桐蔭学園高等学校に理数科を開設。 1981年(昭和56年)4月 - 桐蔭学園中学校・高等学校に女子部を開設(女子部は普通科のみ)。 1985年(昭和60年) - 女子部の校舎が完成[1]。女子部の鸞鳳祭が始まる[1]。 1992年(平成4年)4月 - ドイツ桐蔭学園(中等部・高等部)開設。
校章・学園歌 校章 桐蔭学園の校章は、歴代理事長の母校である、旧制東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の校章にちなんだ「五三の桐」となっている。
学園歌 学園内のそれぞれの学校の校歌は学園歌と呼称し1970年に制定された。ちなみに校歌には学校名が入っていない。
作詞 加藤楸邨 作曲 荒川よう
部活動 硬式野球部 高等学校に1966年設置。1971年(昭和46年)、第53回全国高等学校野球選手権大会に初出場で初優勝を成す。この時を含めて甲子園出場は春5回、夏6回を数える。プロ野球選手も多数輩出しており、引退した選手では、高校卒業後の入団の、長内孝(広島)、渋井敬一(ヤクルト)、水上善雄(ロッテ)、大学や社会人を経ての入団の、小桧山雅仁(横浜)、高木大成(西武)、副島孔太(ヤクルト→オリックス)等がいる。現役では、高橋由伸(巨人)、平野恵一(阪神)等がいる。高木、副島、高橋は同時期に在籍していた。硬式野球部では全寮制を敷いており、部員は全員鉄町の敷地内の寮で生活を送っている。 軟式野球部 中学校・高等学校・中等教育学校に設置。高等学校軟式野球部では、全国高等学校軟式野球選手権大会に過去5回の出場実績がある。中学校野球部では、全日本少年軟式野球大会で平成元年、12年に2回の優勝、平成18年には準優勝している。 サッカー部 全国大会出場、最高は全国準優勝。多数のプロ選手を輩出。W杯、五輪にも戸田和幸、森岡隆三らを送り込んだ。中学は2008年の全国中学校サッカー大会で優勝を果たした。 ラグビー部 全国大会出場、最高は全国大会準優勝。中学の最高は東日本優勝。 陸上部 全国大会出場、全国高校総体2006年大阪・4×100Mリレー優勝、2007年佐賀・4×100Mリレー優勝(2連覇)など。 剣道部 全国大会出場、最高は全国優勝。 柔道部 全国大会出場、最高は全国優勝。五輪選手輩出。 少林寺拳法部 全国大会出場、最高は全国4位。関東大会優勝。 水泳部 五輪選手(高校在学時)輩出。 テニス部 全国大会出場、最高は全国優勝。 ダンス部 中学校・高等学校女子部に設置。「全国中学校・高等学校ダンスコンクール」3位入賞(中学校部門では2006年、高校部門では2003年)、「全日本高校・大学ダンスフェスティバル(神戸)」創作コンクール部門NHK賞受賞(準優勝)(1997年・2006年・2008年)、などの成績を残す。 将棋部 個人戦全国大会出場、最高は全国3位。団体戦全国大会出場、最高は全国3位。
交通 東急田園都市線市が尾駅よりバス「桐蔭学園前」行き10分、終点下車 東急田園都市線青葉台駅よりバス「桐蔭学園前」行き10分、終点下車 東急田園都市線あざみ野駅よりバス「すすき野団地」行き・「虹が丘営業所」行き・「新百合ヶ丘駅」行き10分、「もみの木台」下車 東急田園都市線たまプラーザ駅よりバス「すすき野団地」行き20分、「もみの木台」下車 小田急線新百合ヶ丘駅よりバス「あざみ野駅」行き・「嶮山スポーツガーデン」行き25分、「もみの木台」下車 小田急線柿生駅よりバス「桐蔭学園前行き」・「市が尾駅行き」10分、終点または「桐蔭学園入口」下車 JR横浜線中山駅よりバス「桐蔭学園前」行き45分、終点下車
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【偏差値66】桐光学園(Aコース)
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学校法人桐光学園(がっこうほうじんとうこうがくえん)は神奈川県川崎市に所在する学校法人である。小学校・中学校・高等学校を併設した校舎は麻生区に、みどり幼稚園及び寺尾みどり幼稚園は多摩区に所在。
設置している諸学校 桐光学園中学校・高等学校 桐光学園小学校 寺尾みどり幼稚園 桐光学園みどり幼稚園
学園へのアクセス 小田急多摩線栗平駅 徒歩15分。 京王相模原線若葉台駅発小田急多摩線黒川駅経由のスクールバスを運行 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値66】専修大学松戸(E類型)
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専修大学松戸中学校・高等学校(せんしゅうだいがくまつどちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、千葉県松戸市上本郷にある私立中学校・高等学校。
特徴 全国に4校ある専修大学附属校の1校であるが、校名に「付属」や「附属」を含まない。 附属校ではあるものの大学とは別法人が運営し、また大多数の生徒は他大学への進学を希望しており、専修大学への推薦入学率は例年10%未満にとどまっている。 各種受験案内等には「一定の水準以上の成績であれば専修大学に優先入学できる」などとあるが、一定の水準以下の学業成績を修めた者が専修大学に進学しているのが実情である。 略称は、千葉県立松戸高等学校や松戸市立松戸高等学校と混同を避ける為、『専松(せんまつ)』と呼ばれる。 専修大学松戸幼稚園が併設されている。
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【偏差値66】川越東(理数コース)
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川越東高等学校は、埼玉県川越市にある私立の高等学校。
特色 非常に辺鄙なところにあり、陸の孤島と呼ばれている。最寄の駅まで徒歩4~50分、最寄のコンビニエンスストアまで徒歩で30分もかかるので、基本的に昼休みに抜け出してどこかに行くということは皆無である。それ故スクールバスは生徒にとって貴重な足であり[独自研究?]、乗り遅れれば次のバスを一時間待たなければならないことも。 その私立らしからぬ名前から、しばしば公立高校と間違えられることもある。もちろん川越市内にある川越市立東中学校とは無関係である。 学校法人星野学園に属する。 野球部の顧問は元プロ野球選手阿井英二郎が努めている。 かつて[いつ?]は停学になる生徒が5割を超える底辺校であった[要出典]。 星野高等学校と姉妹校である。兄弟で、すでにいずれかの学校に入学した生徒がいるものは入学金が半額になる。 男子校のため、運動部の応援などには星野高等学校のチアリーディング部や吹奏楽部が駆けつける慣わしがある。
翔鷺祭(しょうろさい) 毎年9月に行われる文化祭の名称。クラスや部活動の出し物はごく一般的なものであるが、「おばけ屋敷」については自粛されている。
部活動 運動部 野球部、ソフトテニス部、テニス部、サッカー部、陸上競技部、バスケットボール部、バレーボール部、柔道部、剣道部、卓球部、少林寺拳法部、ラグビー部、ソフトボール部、スキー部、ウエイトトレーニング部、 バドミントン部、アメリカンフットボール部、水泳部
文化部 英語部、吹奏楽部、情報処理部、数学部、生物部、物理部、マンドリン・ギター部、演劇放送部、美術部、新聞文芸部、書道部、映画部、クイズ研究部、化学部、歴史部、囲碁将棋部
アクセス JR川越線南古谷駅よりスクールバス7分 東武東上線上福岡駅よりスクールバス15分 西武新宿線本川越駅よりスクールバス25分 大宮駅よりスクールバス分25分 西武バス治水橋堤防より徒歩 スクールバスは関東自動車が運行している。
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【偏差値66】西武文理(理数科)
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西武学園文理中学校・高等学校(せいぶがくえんぶんりちゅうがっこう・こうとうがっこう)は埼玉県狭山市にある私立の中学校・高等学校。
概要 文理佐藤学園が運営する私立の中高一貫制で、中学併設前から国公立大学や難関私立大学への合格者を多く輩出している進学校である。
2010年度の東大合格者数は7名で、県内で埼玉県立浦和高等学校、埼玉県立大宮高等学校に次いでの第3位で、埼玉県内の私立高校の中ではトップであった。7年前に開校された西武学園文理小学校とは附属関係にあり、2010年度より文理小学校の第一期卒業生が文理中学校へ上がってくる。
校訓 「Sincerity」「Reliability」「Service」 教育方針として「すべてに誠をつくし最後までやり抜く強い意志を養う」をポリシーとし、文武両道を掲げている。
校風 学校のシンボルマークは熊であり、校内のいたるところに熊(白熊)の像がある。これは「持ちこたえる」、「耐える」の意味のある動詞「bear」にかけたところから来るものであるが、単に校長が熊を好きであるからとも言われている[誰?]。 制服は、男女共にブレザーを着用する。当校は学校の造りからイギリスを模範して創っているため、ワイシャツはオックスフォードシャツを着用し、赤いネクタイを身につける。 校則は厳しく、所持品や生徒の髪形などに規制がある。 小学校から高校まで英語教育を特に力を入れており、小学校から既に『英語』が科目の1つとして含まれており、西武文理小学校からの進学には原則英語検定3級以上を取得が条件となる。 文化祭(文理祭)時には小学校でも同時に活動発表会を行い、中高生と合同での音楽演奏や発表展示を行う。両会場はバスで5分程度離れており、開催中はシャトルバスで連絡する。尚、小学校会場で展示される鉄道模型レイアウトは中学・高校合同による鉄道研究部からの寄贈品であり、小学生の体格・運搬時を考慮して比較的小さめのものが提供されている。 登校時には、毎日広場に教師が4?5人立って挨拶運動をしている。
学科・コース クラスは例えば「1年E2組」「2年A6組」など所属する科を表すアルファベットと数字を組み合わせて付けられるため、クラス名を見れば何科の何コースに所属しているかが直ぐに判る様になっている。
普通科 - いずれも2年時から文理別のコースとなり、一部授業は選択制となる。 文理進学コース(Aクラス) - 高校時から入学した普通科のクラス。 中高一貫コース(Bクラス) - 西武学園文理中学校からの内部進学者の入るクラス。 高校3年間を通して文理進学コースと中高一貫コースが混合することはない。 中高一貫コースには特別選抜クラスが内属している。 高入生のエリート選抜東大クラス(Tクラス)は文系・理系問わずここに所属する。 理数科(Sクラス) - 通常の理数科クラスのみ。基本的に全員が理系であり、近年[いつ?]は3年間通じてクラス替えが行われない。 英語科(Eクラス)
授業 土曜日の授業が第2土曜日を除いて行われている。また一部のクラスでは8時からの0時限授業を取り入れている。長期休業中は多様なゼミを開講している。
文理ウォーク 男子は35キロ,女子は20キロを歩く。途中で飲み物を買うのは禁止である。
文理祭 毎年9月頃に行われる文化祭の通称であり、2日間に渡って開催されている。
体育祭 毎年6月に行われる。 中学・高校・小学校(1・2年)が集まって行われるため、大規模な体育祭となる。
球技大会 例年10月頃に2日間行われるクラス対抗の大会。学科・学年無関係にサッカーやバスケットボールなどの数種類の球技が行われる。 クラスごとにTシャツ等が制作され、普段の生活と違った雰囲気が味わえる。
女子のダンス発表会の時は、学校に残った男子のみで”男祭り”も近年[いつ?]から開催されている。
国際教育・修学旅行 国際教育に力を入れているため、数々の国際交流を行っている。毎年イギリスの名門校イートン・カレッジへの短期留学、アメリカのオハイオ州でのホームステイなどを行っている。 修学旅行は2年次の8月頃に行われる。中学校では毎年イタリアへ行き、高等学校の例年の行き先は海外の英語圏でありここ最近[いつ?]は、高入生はオーストラリアへ、中高一貫生はニュージーランドへ行っている。英語科のみは修学旅行の代わりに、3週間オーストラリアへの語学研修を行っている。
部活動 「文武両道」の精神にのっとり、部活動への加入率は高い傾向にある。なお、2008年度における部活動への加入率は、運動部が63.8%、文化部が14.6%、愛好会(サークル)が15.6%であ。
運動部では、陸上部やライフル射撃部、バスケットボール部、スキー部などが全国大会に出場経験がある。
設備 当校は、埼玉県内で一番の敷地面積を誇り、周りは見渡す限り山や川に覆われており教育の場としての環境はとても優れている。イギリスを模範として造られているため、校舎は全てレンガ造りとなっていて、到る所に英語表記のものがある。グラウンドは6つ存在するのだが、プールが存在しない。また校長の趣味で、彫刻等の美術品が校内の敷地内に数多く置かれている。
通常校舎 高校生が使用する校舎(4階建て)が2棟、中学生が使用する校舎(3階建て・一部4階建て)が1棟あるが、中学校舎のいくつかの特別教室(音楽室、美術室、被服室、調理室、書道室)は中学生・高校生の共用となる。中学校舎1階には購買部があり、昼休憩と放課後に営業する。昼食時のみ開放される食堂スペースがあるが広くはなく、教室で食事を取る生徒が多数を占める。業者による軽食販売が行われるが大多数の生徒は弁当を持参する。 中学・高校とも1階部分にはいわゆる特別教室が多く配置されている。
体育会系施設 体育館は2棟あり、2階建ての『北斗館』は2階が通常の体育館(大規模な集会にも使用)、1階が剣道場・武道場・卓球場となっている。またグラウンドはメイン・サブをあわせて6つ存在するが、入間川河畔と言う立地のため一部グラウンドは徒歩で10分ほど離れている。その他、テニスコート・弓道場(弓道部専用)等を持つほか、隣接する大学のグラウンドを使用することも稀にある。校内にプールが存在しない。
なお、学校行事によってグラウンドを駐車場として利用することがある。
特別教室(上記以外・別棟) IT教育を行うために設置された『I.I.YOU館』。ここではインターネット接続が可能なPCや自習用の個人ブースなどがあり、普段から放課後6時半まで開いている。他には生徒会及び文化系部活が使用するプレハブ棟、体育会系部活が使用するクラブハウス、学校説明会などに使用される『サイエンスホール』、茶道体験等に使用される和室などが存在する。
アクセス 西武新宿線 「新狭山駅」北口より徒歩3分のスクールバス乗場より、スクールバスで8分。西武柏原ニュータウン行き路線バス(新狭11,11-1,11-2)にて西武柏原ニュータウン下車 「狭山市駅」西口より西武柏原ニュータウン行き路線バス(狭山24)にて、終点下車。 西武池袋線 「稲荷山公園駅」よりスクールバスで20分。 西武池袋線・JR八高線「東飯能駅」東口よりスクールバスで25分。 JR埼京線・川越線・東武東上線「川越駅」西口よりスクールバスで20分。 尚、毎朝登校時の川越駅前バス停は長蛇の列ができる。1台のバスに50?60人を入れるほど、詰めて乗車しなければならないほど混雑する。これは帰宅時についても同様である。 かすみ野行き路線バス(川越35)にて、かすみ野下車(かすみ野から本校までは若干の距離あり)。 東武東上線「鶴ヶ島駅」西口から(途中、的場バス停等を経由)スクールバスで20分。 JR川越線「笠幡駅」より新狭山駅北口行き路線バス(新狭11)にて、西武柏原ニュータウン下車。 ただし、上記のスクールバスは学校関係者は施設利用証(通称「バス券」)を購入しなければならない(校内に券売機がある。1枚売りは200円だが、45枚では5000円、90枚では10000円で販売している。鶴ヶ島駅行きのバスは川越観光自動車が、それ以外の路線は西武総合企画が担当している。ただし施設利用証はいずれの会社、路線においても共通である)。
附属校・系列校 附属校 西武学園文理小学校(埼玉県狭山市) 系列校 西武文理大学(埼玉県狭山市) 西武文理大学附属調理師専門学校(埼玉県ふじみ野市) 西武調理師専門学校(埼玉県所沢市) 西武学園医学技術専門学校(埼玉県所沢市) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値65】錦城学園(特進)
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錦城学園高等学校(きんじょうがくえんこうとうがっこう)は、東京都千代田区神田錦町にある私立の高等学校である。全日制の共学校。運営は学校法人錦城学園。隣に正則学園高等学校がある。皇居に近く、ビルに囲まれている。
東京都小平市にある錦城高等学校は運営母体が同じ兄弟校。兵庫県明石市にある定時制高校兵庫県立錦城高等学校とは繋がりがない。
経緯 錦城学園高等学校は、1880(明治13)年に矢野文雄(龍渓)によって創立された三田予備校に源流を持つ高等学校である。1881(明治14)年に改称され三田英学校となってから120年以上の間、英語教育を中心に国際的な感覚を身につける教育を、名称が錦城学園高等学校になった今日まで続けている。これだけの歴史があるといって校風は決して堅くない。また、以前は男子校だったが2006(平成18)年から男女共学校となり、2004(平成16)年に改修された施設・設備と合わせ、制服も今までは緑色のブレザーだったが、紺色のブレザーの制服に変更され、新たな歴史が始まっている。
設置課程 以前は商業科が併設されていたが廃止され、現在では普通科のみである。また、近年 普通科を文理コースと国際英語コースに分け、英語教育に向ける力が強化された。
普通科 文系コース 理系コース 国際英語コース
交通 東京の中心地千代田区にある学校なので、地下鉄を含め鉄道の駅が近くに多くある。
JR中央線・総武線 御茶ノ水駅 - 徒歩約10分 JR中央線・総武線・山手線・京浜東北線 神田駅 - 徒歩約10分 都営地下鉄三田線 / 東京メトロ半蔵門線・千代田線・東西線 大手町駅 - 徒歩約5分 都営地下鉄新宿線・三田線 / 東京メトロ半蔵門線 神保町駅 - 徒歩約5分 都営地下鉄新宿線 小川町駅 - 徒歩約5分 東京メトロ丸ノ内線 淡路町駅 - 徒歩約5分 東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅 - 徒歩約5分 東京メトロ東西線 竹橋駅 - 徒歩約5分 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値65】淑徳巣鴨(Uコース)
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淑徳巣鴨中学校・高等学校(しゅくとくすがもちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区に所在する私立学校である。中学、高校共に5期制を実施している。
沿革 1919年(大正 8年) 社会福祉施設マハヤナ学園として設立 1931年(昭和 6年) 巣鴨女子商業学校に改称 1985年(昭和60年) 淑徳巣鴨高等学校に改称 1996年(平成 8年) 淑徳巣鴨中学校を併設
交通 都営三田線西巣鴨駅徒歩3分 都電荒川線庚申塚駅徒歩4分 JR埼京線板橋駅徒歩10分 東武東上線北池袋駅徒歩15分 JRなど池袋駅から都バス「堀割(淑徳巣鴨前)」 池袋駅東口 西新井駅行(王40甲) 池袋駅東口 浅草雷門行(草63または草64)
著名な卒業生 鈴木絵美子 浅利陽介 CHARA
スポーツ成績 2007年 高校総体で水泳部 男子が総合優勝を果たした。 バドミントン部 関東大会では女子が38年連続出場 男子は15年連続で出場中。
系列校 淑徳大学 淑徳短期大学 淑徳中学校・高等学校 淑徳与野中学校・高等学校
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【偏差値65】成蹊高等学校
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成蹊中学校・高等学校 (せいけいちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都武蔵野市にある男女共学の私立中高一貫校。設置者は学校法人成蹊学園。
沿革 明治末期?大正期の教育者である中村春二が、高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)時代からの友人であった、岩崎小弥太(後の三菱財閥総帥)と今村繁三(後の今村銀行頭取)の協力を得て創設した私塾「成蹊園」が母体となっている。
概要 東京の進学校・難関校の一つである。国際色豊かで自由な校風、徹底した少人数教育が特徴。中学校には、帰国子女のみを受け入れる「国際学級」が各学年に1クラス(定員15名)ずつ設置されている。
生徒数は2009年5月現在、1766名(成蹊高校976名・成蹊中学790名)である。
アメリカ屈指の全寮制私立学校であるセント・ポールズ・スクールは、日本では成蹊高校とだけ交換留学制度を設けている。
オーストラリア・ニューサウスウェールズ州のカウラ高校とは、交換留学制度・短期留学制度がある。
また、イギリスの名門ケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジ(Pembroke College,Cambridge)への短期留学制度もある。
中高一貫校だが、高等学校からの外部募集も行っている。
有名企業の会長・社長など、多くの実業家を輩出している。
学園入口から中学校・高等学校正門まで約600メートル続くケヤキ並木(124本)は「日本の音風景100選」(環境省)、「新東京百景」(東京都)に選定されている。
施設・設備 中学・高等学校中央館…中学校生徒ホール、高校食堂(300席)、コンピュータ教室A(50席)、コンピューター室B(40席)、視聴覚教室B、中学校図書室、高校図書室、分割教室(30名×4部屋)、会議室、事務室 理科館…物理・化学・生物・地学の各研究室、講義室、実験室あわせて11の教室、屋上には成蹊気象観測所と天文気象部(高校)が使用する天文観測ドームがある。 造形館…金工室、木工室、美術室、工芸室がある。 特別教室棟…1学年全員が入れる大教室、調理室、被服室、和室、書道室、音楽室(2部屋)、第二視聴覚室、共同研究室がある。 中学校ホームルーム棟(2007年7月竣工) 高校ホームルーム棟(2008年12月竣工) テニスコート(5面・全面人工芝) 中高グラウンド バスケットボール・バレーボールコートなど(3面・屋外) 体育館が2棟(第一体育館、第二体育館) ※この他に、成蹊大学の運動施設も利用可能。
制服 男子:冬服は、紺色の詰襟。夏服は、白いワイシャツまたは開襟シャツに、紺色のズボンを着用する。中学は冬服の場合襟に学年とクラスを表した金バッジを、夏服の場合はワイシャツないし開襟シャツに校章を付ける。 女子:セーラー服。冬服は紺襟に桃のマークと白線3本が入った紺のセーラー服で、夏服は紺襟に桃のマークと白線3本が入った白のセーラー服。中学は赤色のスカーフ、高校は紺色のスカーフを着用する。
進路 成績上位者には、成蹊大学への内部推薦の権利を持ちながら、他大学を受験できる内推併願制度がある。 例年、卒業生の約3割が系列校の成蹊大学に進学し、その他の多くは難関大学へ進学。 医歯薬系学部への進学も目立ち、2009年は医歯薬系学部の大学に100名以上の合格者を出している。 2009年大学合格実績…東大4名、京大2名、一橋大2名、早大44名、慶大42名、上智大34名、MARCH107名など。
部活動 スカウト等は一切行っていないが、硬式テニス部(全国大会優勝)、ラグビー部(花園出場)は強豪。スキー部・馬術部も全国大会出場経験がある。
天文気象部は気象観測で知られ、メディアにも度々登場する(構内に1926年設立の成蹊気象観測所がある)。また同部は「小柴昌俊科学教育賞」奨励賞を受賞している。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値65】拓殖大学第一(特進)
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拓殖大学第一高等学校(たくしょくだいがくだいいちこうとうがっこう)は、東京都武蔵村山市大南四丁目にある私立高等学校。設置者は学校法人拓殖大学。通称は「拓一」・「拓大一高」。
概要 5つのCanDoという教育カリキュラムを行っている。学力実績を伸ばしてきている私立高校のひとつで、過去には東京大学合格者が出た。近年、2000名近くの志願者がいる。
部活動 男・女バレー部、男・女バスケ部、卓球部、体操部、相撲部、剣道部、バドミントン部、チアダンス部、男・女ソフトテニス部等数多くの部活動が関東・全国レベルの実力をもっている。チアダンス部は全米大会への出場経験がある。陸上部(駅伝チーム)は2007・2008年東京都代表として全国高等学校駅伝大会(都大路)に出場している。
過去に設置していた学科 農業科:創立時に設置。入学者がなかったためすぐに廃止される。 商業科:創立時に設置。1961年度より募集を停止した。
理療科 1949年?1957年まで、鍼灸について教える理療科を設置していた。その起源は1940年に拓殖大学が開いた漢方医学特別講座であり、戦争激化で中断した講座が、附属の高等学校で復活した形となった。盲学校でなく普通の高等学校でこのような学科がおかれていたのは非常に珍しいことであったが、現在は独立し、東洋鍼灸専門学校として存続している。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値65】帝京大学高等学校
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帝京大学中学校高等学校(ていきょうだいがくちゅうがっこうこうとうがっこう、英称:Teikyo University Junior & Senior High School)は、東京都八王子市にある私立中学校・高等学校である。
概観 1931年に東京都渋谷区で創立された帝京商業学校を前身とする進学校である。一流大学への進学を目標とした少人数制による中高一貫教育を特徴としており、実際に生徒の多くが有名国公私立大学や医歯学系学部に進学する男女共学校である。
建学の精神 努力をすべての基とし、偏見を排し、幅広い知識を身につけ、国際的視野に立って判断できる人材を育成する
教育方針 中高一貫教育 中1・中2の段階では基礎学力の充実を図る。中3・高1の段階では「I類・II類クラス編成」を行い、生徒1人1人の理解に合わせた学習を行う。高2・高3の段階では「文理・進路別学習」という制度をとり、文系・理系に別れると共に、「東京大学・難関国立大学コース」・「国公立・早稲田大学・慶應義塾大学コース」・「私立大学コース」の3つに分かれる。
高校教育 高校からの入学も可能だが、募集人数は非常に少ない。この場合、高1は「I類クラス」にて将来東大等の難関国公立・早慶に入学できる学力を養成し、高2からは中高一貫教育課程と同様の教育体制がとられる。
進学実績 2008年度卒業生118人(2009年3月卒業)の四年生大学への進学率は79.7%で、国公立大学合格数は30(浪人4)、慶應義塾大学21(浪人3)、早稲田大学48(浪人1)となっており、ここ数年では最も輝かしい進学実績となった。
略歴 1931年に東京都渋谷区に財団法人帝京商業学校として設立された。荏原区議だった冲永荘兵衛と妻・キンの患者で弁護士だった忠石弘治が、共同で実業学校の設立を目論み、冲永の郷里の先輩で東京市議だった尾中勝也も加わって開校。その後、冲永が理事長・校長として運営の中心を担った。
戦後は工業科を増設して帝京商工高等学校となるものの、同一法人の帝京大学の医学部開設にあたって設置基準を満たす必要から、1970年に在籍していた学生ごと帝京高等学校に移管。学校自体は多摩市に移転し、改めて帝京大学高等学校となった(帝京商工の校舎で空きになったものは帝京大医学部の校舎に流用された)。1983年には中高一貫教育を目的として中学校が開設され、1995年に現在地に移転し新校舎を設置した。
所在地 東京都八王子市越野322
交通 京王電鉄相模原線京王堀之内駅より徒歩20分。 京王バス南 帝京大学中高校正門より徒歩0分[1] 京王バス南 帝京大学中高校停留所より徒歩3分 京王バス南 帝京大学中高校北停留所より徒歩3分 京王バス南 由木中央小学校停留所より徒歩12分 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値65】日本大学第三(特進)
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日本大学第三中学校・高等学校(にほんだいがくだいさんちゅうがっこう・こうとうがっこう、英称:The Third Junior & Senior High School of Nihon University)は、東京都町田市図師町にある学校法人・日本大学第三学園が設置する男女共学の私立中学校・高等学校であり、日本大学の特別付属校である。略称「日大三中・三高」、「日大三」。
概観 1929年、旧制赤坂中学校(東京都港区赤坂)が日本大学に経営を移管し、日本大学付属赤坂中学校として開校。翌年、日本大学第三中学校と改称。
もっとも同校の起源を遡れば、1891年4月に開設された高等商業学校予備門に始まる。同予備門は、高等商業学校(現在の一橋大学)の入学志望者を養成するため、高等商業学校長・矢野二郎のもと、同学教授・宮松兼三郎によって東京市麹町区大手町1丁目1番地(現在の東京都千代田区大手町1丁目)に開設された。また、1893年4月には中学校令に準據するため、新たに私立商工中学校として開校した。この高商予備門の系譜を引く商工中学校は、通称“大手町の商工中学校”・“東京商工中学校”とも呼ばれる、当時の東京高等商業学校(現在の一橋大学)と東京高等工業学校(現在の東京工業大学)を入学志望校とする全国の学生が集う名門進学校となった。往年の高商予備門?商工中学校時代の進学実績として、毎年40名?50名、多い年は70名以上の高商進学者を輩出しており、前述の高商予備門開設の経緯と進学実績より高商の半ば付属校的存在であった。
1917年4月には、商工中学校発祥の地である大手町界隈の環境変化にともない、東京市赤坂区中ノ町8番地(現在の東京都港区赤坂6丁目)の旧中ノ町小学校跡地に移転、校名も私立赤坂中学校と改称し、学校組織そのままに新たなスタートを切った。しかし、その後、赤坂中学校は経営危機に陥ったため、前述のとおり、日本大学の付属校となり、学校経営が日本大学に移管された。(この件に関して日本大学側は合併としている。)
旧制赤坂中学校の運営を担うこととなった日本大学は、1929年10月の合併当初より、同校の校名を日本大学付属赤坂中学校としていたが、翌1930年10月、同校を日本大学の正統な付属校とするべく赤坂中学校の名を廃し、現在の校名である日本大学第三中学校に改称した。また、旧来の学校組織を刷新し、日本大学本部より鎌田彦一を同校の総務に配属し、経営再建に当らせた。その後、理事長・校長に就任する鎌田によって、現在の日大三中・三高の基礎が築かれた。また、鎌田は、日大三中開校当初より、硬式野球部の強化に努め、戦前より全国レベルの力を保持する名門野球部の構築に大きく貢献した。同野球部は過去、甲子園大会で優勝2回(1971年春・2001年夏)、準優勝3回(1962年春・1972年春・2010年春)を果たしている。(日大三高赤坂時代の硬式野球部練習場兼合宿所は、東京・調布市柴崎に在り、彼の地をかつての鎌田の功績と遺徳を偲んで、別名・“鎌田球場”と称していた。現在、同地は鹿島建設柴崎グラウンドとしてかつての面影を今に残している。)
前述のとおり、同校は前身校である商工中学校の移転以来、永らく東京・赤坂の地に本拠を置いていたが、1976年4月、将来の教育に対応する理想的な環境を求め、東京都町田市図師町に15万m?の校地を得て、多摩丘陵に『丘の上のキャンパス』を建設、現在地へ全面移転した。また、学校発足以来、同校は男子校であったが、1987年に高等学校を共学化、続く1991年には中学校も共学校となり、ここに質実剛健を誇った男子校の歴史が幕を閉じる。また、大学への進学体制として、日本大学の特別付属校という位置づけを軸に、高等学校に特別進学クラスを設置するなど、幅広い学生ニーズに対応できる教育体制と教育改革に取り組んでいる。スポーツ教育においては、都心では実現し得なかった設備と環境整備を展開しており、硬式野球部のみならず、近年では、アメリカンフットボール部(チーム名:ブラックレジスタンス)がクリスマスボウル優勝(1996年・2006年・2009年)を果たすなど、他のスポーツ部の活動も盛んであり、各種スポーツ大会の拠点ともなる都内屈指の設備と環境を備えている。
尚、学校法人・日本大学第三学園は、同校の創立を旧制赤坂中学校が日本大学の付属校となった1929年10月としているが、前身校である商工中学校並びに赤坂中学校の歴史を伝えるものとして、校旗の色(スクールカラー:darkslateblue)が商工中学校並びに赤坂中学校のものであること、同校第二応援歌として制定された赤坂中学校の校歌が残されている。(第二応援歌は、同校硬式野球部の公式戦においても通常、演奏されることはないが、2001年夏、甲子園での選手権大会優勝時に演奏されている。)
備考として、日本大学の付属校は、学校法人を日本大学とする正付属校、学校法人が日本大学と異なる日大一、日大二、日大三、千葉日大一〈ナンバースクール〉が属する特別付属校、日本大学と準付属校契約を締結した学校法人が設置した準付属校がある。数ある日本大学の付属校の中でも、とりわけ古い歴史と伝統を誇る日大一、二、三の三校は、第二次世界大戦以前まで日本大学(当時は財団法人)の経営下にあったが、終戦直後に行われたGHQによる財閥解体の影響により、1946年4月、日本大学より分離独立し、共に別法人となっている。また、前記三校は、都内の高校野球大会において、共に幾多の名勝負を繰り広げた甲子園出場経験を持つ名門であるが、この三校の硬式野球部による交流試合が、毎年恒例として、校名の数字に因んだ11月23日に日大三高野球グラウンドで行われている。
校訓 「明・正・強」
教育目標 公式HP 参照
「明・正・強」の建学の精神に徹し、質実剛健、明朗闊達、気品のある人格を養う。 学問を愛し、礼儀を尊び、社会と人生に対する深い理解と公正な判断力を養う。 自主独立の気風と志操を保ち、実行力に富む人材を養う。 環境の整理と美化に意を用い、清潔を重んじる気風を作り、あわせて健康な身体を養う。
所在地 東京都町田市図師町11-2375
最寄り駅・バス停 横浜線・小田急線町田駅(町田バスセンター) 15番のりばから、[町16]急行・日大三高行に乗車、終点で下車。 12番のりばから、[町27]小山田行に乗車、日大三高入口で下車、徒歩5分程度。 12番のりばから、[町31]多摩丘陵病院行に乗車、日大三高東で下車、徒歩5分程度。 11番のりばから、[町39]市立室内プール経由 野津田車庫行に乗車、日大三高入口で下車、徒歩5分程度。 11番のりばから、[町26]野津田車庫行に乗車、図師大橋下車、徒歩15分程度。 京王線・小田急線・多摩都市モノレール 多摩センター駅 停留所案内 11番のりばから急行・日大三高行、各停・日大三高行に乗車、終点で下車。 横浜線淵野辺駅(北口) 直行・日大三高行、小山田桜台経由日大三高行に乗車、終点で下車。 野津田車庫行・鶴川駅行・登戸行に乗車、図師大橋下車、徒歩15分程度。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値65】本郷高等学校
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本郷中学校・高等学校(ほんごう ちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区駒込に所在する私立中学校・高等学校。
概要 高松藩第12代当主である松平?壽が当時急速に普及した中等教育の時代趨勢の中、官公立の中学は府立一中等学校数が少なく、地元の誠之小学校から多くの子弟の進学が困難な状況であったことと、また知育偏重・画一的な教育を憂え、1923年に旧制本郷中学校を設立。現在は、中学校と高等学校を併設して中高一貫教育を推進している。
高校ではクラブ活動が盛んだった時代があり、ラグビー部やサッカー部は全国を代表する名門だった。ラグビー部は1985年の第65回全国高等学校ラグビーフットボール大会では準優勝をしており、花園の常連校だった時代もあるが、難関国立大学をめざすコースの設定をはじめとする、大学進学指導体制の強化など学力養成を重視した教育方針への転換を期に、相対的な実力は低下し、近年は全国大会への出場も少なくなったが、2007年度は4年ぶりに全国大会へ出場した。
過去には、普通科の他に理数科・機械科・デザイン科の4学科を設置していたが、前述の通り教育理念の改変による科の統廃合のため、現在は普通科のみの編成となっており、特進クラスの設置や付属中学にも特別進学クラス予備クラスが設置されるなど、中高一貫の教育へと転換している。
校風 建学の精神は「個性を尊重した教育を通して、国家有為の人材を育成する」である。教育目標は、強健(心身両全にして、困難に耐えうる)、厳正(志操堅固にして、自らに厳しく中正な判断をなしうる)、勤勉(責任を重んじ、誠心誠意つねに自己の務めに精励する)である。 文武両道を旨とする方針の下、生徒の自発的な学習即ち自学自習を促す傍ら、クラブ活動を強く奨励し中学全体で94%、高校全体で73%の生徒が部活動に参加している。
学校施設 学園全体の面積にしてはグラウンドの敷地は東京23区内でも有数の広さである。2008年にグラウンド全面が、明治神宮野球場で使われているものと同様の人工芝となった。屋上にはテニスコート・バレーコートがある(コートは共用)。
進学対策 本郷中学校・高等学校では生徒の進学に対する志望に真摯に対応するため、以下のクラスを設置している。このクラスの在籍生徒は入学試験時に選抜された者ではなく、入学後の学業成績・素行等を踏まえて選抜された者である。一般クラス(進学クラス)においても、難関私立に対応したカリキュラムの下で授業が進められる。
特別進学クラス 東京大学、京都大学、一橋大学、東京工業大学の入学を目標とする特別進学クラスが設けられている。このクラスでは以上の大学の入試対策として通常のクラス(進学クラス)とは別のカリキュラムで授業を展開している。2007年度、このクラスから5名が現役で東大に合格していたが、近年は3人止まりであり、実績はふるわない様子である。
難関国公立クラス 旧帝国大学などの難関国公立を目標とするクラス。平成21年度の高校2年生から実施されている。基本的なカリキュラムは特別進学クラスと同様である。
カリキュラム 授業は中高一貫教育の利点を生かして高校1年生の段階で高校2年生までの単元をすべて消化し、その後それぞれの志望大学に向けて選択授業制となる。
入学試験の状況 受験者数は年々増加傾向にある。 平成19年度の中学入試倍率は最高で約8倍だった。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値65】東工大附科学技術
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東京工業大学附属科学技術高等学校(とうきょうこうぎょうだいがくふぞくかがくぎじゅつこうとうがっこう)は、東京都港区芝浦三丁目に所在する国立高等学校。JR山手線・京浜東北線の田町駅から目の前にあり、大きな看板も見える。東工大附属の通称で呼ばれている。
概要 在学生の大半が理工系大学・学部を志望している。2002年度から3年間理数系教育重点校のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定された。また、2005年度から2009年度まで5年間延長指定され、更に2010年度から2014年度まで5年間延長指定された。2004年度卒業生から国立では珍しい併設大学への推薦入学制度が導入されており、毎年10名程度が選抜されている。2008年・2009年には14名が東京工業大学へ進学した。特色化した教育課程が組まれている点から、人気は非常に高い。また高専との併願者が一定数存在する。[要出典]
東京工業大学田町キャンパス内にあり、同じ敷地内にはキャンパス・イノベーションセンター東京も存在する(基本的に生徒は3年間入る事はない)。戦前には東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)があり、その中に東京放送局(現NHK)の仮放送所が設置され、日本のラジオ放送の第一声がここから放送された。これを記念する「放送記念碑」と「千葉大学工学部発祥の地」と刻まれた碑が敷地内に建立されている。
校風は非常に自由で私服校である。校内の無線LANは生徒の使用が許可されている。エアコン等の設備もあり、特に持ち込み禁止となっている物はない。男女共学であるが、全校生徒に占める男子の割合が8割強と圧倒的に多く、男子校の様な雰囲気である。
本校は勘違いされやすいが、工業課程の科学・技術科である。基本的には文系科目である世界史・英語・古典等は大学受験で必要最低限の分野のみ履修する事になっている。その分数学を始めとする理系分野の授業は単位数が多く、本校独自の教科書を使用して授業するものもある。分野に拠っては大学での講義レベルに達するものも存在する。また普通科目の授業と別のものとして東京工業大学教授らによる講義、他科学技術における倫理などを考える授業があり、それぞれレポートが課せられる。本校のレポートは、2学年からの専門分野の時から各分野独特のレポートが課せられ、提出しないと評定はつかない、レベルの高いものとなっている。また一部のレポートに関しては、そのレポートが優秀な場合に表彰されることもある。レポートの数は所属分野にもよるが、およそ1人年間30通程度で、勉強との並立をうまく考えなければならない。
従来は5学科(機械・電気・電子・工業化学・建築)だったが、組織・校名変更にあわせて2005年度入学者より5科が科学・技術科に統合され、その中で5つの分野(応用化学・情報システム・機械システム・電気電子・建築デザイン)に分かれることになった。1年時は共通の工業科目加え普通科高校と同様の授業を行い、2年時から各生徒の希望の分野に分かれる。分野決めは基本的に希望をとる方法だが、分野に偏りがあると成績順となる。その選考用に1年時の9月と2月に専門のテストを実施している。
特色 普通科もしくは高専とはかなり変わった校風にある。前述の通り校内は割と自由で特に規定というものはなく、すべては生徒自身の責任である。 学園祭や体育祭といった一般的行事は、装飾関連の準備も前日からといった具合である。だがその分無駄な時間をとらず毎年きれいに終わるのが特徴である。 近年は、文化祭などの来場者数が増加、盛り上がりを見せている。
特別選抜 本校で2004年度から実施されている東京工業大学への推薦入学制度であるが、どのような観点で推薦者が決まるのか、本校外にあまり公示されていないのが現状である。第三学年になって全員行う課題研究内容、第三学年の8月に行われる高大連携教育活動「サマーチャレンジ」での大学側の評価が主な選抜決定材料とされている。単に成績がよいだけでは通用せず、粘り強い積極性・集中力・思考力・発表力・決断力が要求される。
前述の通り、サマーチャレンジがこの特別選抜のメインであるが、その中でも第三学年で全員行う「課題研究」が重要になってくる。この選抜の目的は普段のペーパー試験では判定できない専門的な能力について評価することであり、この課題研究はそのような能力をアピールするものでもある。最終的に、実力テストなどの成績も考慮して推薦者が決まる。従ってこれは俗に言うエスカレーター式の選抜制度ではない。
教育課程 本科 (推薦入試は分野別募集だが、一般入試は一括募集で、2年進学時に希望・適性などから各分野へ分かれる) 科学・技術科 材料科学・環境科学・バイオ技術の分野(応用化学) 情報・コンピュータサイエンスの分野(情報システム) システムデザイン・ロボットの分野(機械システム) エレクトロニクス・エネルギ・通信の分野(電気・電子) 立体造形・ディジタルデザインの分野(建築デザイン:2008年度より、略称を改称)
専攻科(社会人を対象に夜間に授業を行う) 機械科 電気科 建築科 工業化学科 平成20年度入学者の卒業をもって専攻科は閉科となった。
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【偏差値65】麗澤(特別奨学生選抜)
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麗澤中学校・高等学校(れいたくちゅうがっこう・こうとうがっこう)は千葉県柏市にある私立中学校・高等学校。設置者は学校法人廣池学園。麗澤大学とは学校法人廣池学園を介してつながっている。
沿革 1935年 道徳科学専攻塾を開校 1948年 道徳科学専攻塾高等部を開校 1951年 現在の高等学校名に改称 1967年 定時制課程を廃止 1992年 これまでは全寮制であったが、通学生の受け入れ開始 2002年 中学校を設置
部活動 (一部中学のみ、高校のみの活動)
運動系部活動 空手道 弓道 ゴルフ サッカー 硬式テニス バスケットボール バドミントン バレーボール 野球 剣道 柔道 文化系部活動 演劇 吹奏楽 書道 日本文化 美術 囲碁(将棋は活動外に) 百人一首 科学 和太鼓(研究会)
交通 JR南柏駅より徒歩20分。 主な出身者 国枝慎吾-日本初のプロ車いすテニス選手 高森明勅-評論家、神道史家 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値65】城北埼玉高等学校
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城北埼玉中学校・高等学校(じょうほくさいたまちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、埼玉県川越市古市場にある私立中学校・高等学校。中高一貫制男子校。従前は東京都板橋区の城北中学校・高等学校とは系列校であったが、現在、交流関係はない。
概要 城北埼玉の構想が出来たのは、1970年代である。この頃、当時の城北高校の校長であった近藤薫明が構想を練っていた。そこに、埼玉県の高校誘致による関係で、現在の城北埼玉高校の構想ができた。
埼玉県における進学校である。「着実・勤勉・自主」を校訓としている。東大をはじめとする“旧帝大”を目指す教育が行われている。基礎に重点を置きながらも、入試に直結するような授業を展開する。特に3年次には8月と受験直前1月に受験対策のための合宿が群馬県みなかみ町猿ヶ京温泉の保養施設で行われる。
特色 学校週5日制を採用していない。高校2年次より理系・文系に分かれてクラスを編成し、3年次ではさらに細かくクラス分けをしている。また、成績優秀者を集めた選抜クラスも存在する。特に理数系に強い。
授業料は私立の割には安価で、受験校の強制もない
「城北埼玉中学・高校」は呼び名として長いので、呼びやすくするために「城玉(じょったま・じょうたま)」と呼ぶ事もある。この時「城北(じょうほく)」と呼ばないのは、東京都板橋区にある城北中学校・高等学校との混同を避けたためである。
城北中学校・高等学校と同様、毎授業の前に、目を閉じ、姿勢を正して、「静座」を行う。1年行うことで1日分の時間に値すると言われる[誰?]。
制服 中学生・高校生ともに黒の詰襟。中学生は黒ボタン、高校生は金ボタンとなっており区別がつけられる。Yシャツも中学生は薄いグレーのチェック、高校生は無地と相違がある。
設備 ドーム型食堂内部食堂 ドーム型の大きい食堂がある。 室内温水プール 室内温水プールのため水泳の授業は各学期ごとに各学年行われる(1学期-3年生、2学期-1年生、3学期-2年生)。また水泳部も年間を通じて活動している。授業、部活動以外の時間は水泳教室が行われている。 白樺荘 校外施設の収容所、「白樺荘」は中学1年の林間学校や高校1年のオリエンテーション合宿、高校3年の受験合宿時に使用される。 近藤記念ホール 1階が多目的教室(会議室など)、2階がホールとなっている。1階には多目的教室の他、シャワー室なども備えられていて運動部の合宿等もここで行われる。2階のホールは当初入学式の会場として使用されるはずであったが、収容しきれないことが判明し、現在は進路説明会、OB座談会などに使用されている。
部活動 部活動の参加義務はない。40を超える部・同好会が存在する。
運動部は野球部やサッカー部が盛んである。野球部は中高別々で、軟式・硬式に分かれている。また、少林寺拳法部は全国レベルの強さで、全国大会にも出場した。テニス部は人数が非常に多く大会では結果を残している。水泳部は中高合同の活動ではないが、同じプールを半分ずつ区切って使用している。また、市大会で準優勝者が出ている。スキー部は、いくつかの関東大会に出場するなどしている。
文化部は運動部よりも部活数は多いが、部員が少ないところが多い。ただ、その中でも囲碁・将棋部の団体戦4位入賞や吹奏楽部など、積極性のある部活もある。
運動部 野球部・サッカー部・バスケットボール部・バレーボール部・硬式テニス部・軟式テニス部・ハンドボール部・陸上部・水泳部・柔道部・剣道部・少林寺拳法部・スキー部・卓球部・ラグビー部・バドミントン部・ワンダーフォーゲル部・釣り同好会
文化部 放送部・化学部・生物部・物理部・地歴部・美術部・写真部・合唱部・吹奏楽部・数学研究部・演劇部・囲碁将棋部・漫画動画部・軽音楽部・書道部・英語研究部・鉄道研究部・新聞委員会・応援団・模型同好会・インターアクト・映画研究同好会・文芸同好会・格闘技観戦同好会・マジック同好会・シネマニア同好会 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【偏差値65】狭山ヶ丘高等学校(1類)
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狭山ヶ丘高等学校(さやまがおかこうとうがっこう)は、埼玉県入間市下藤沢に所在する私立高等学校。設置者は学校法人狭山ケ丘学園。現在の校長は小川義男。略称「ヶ丘(がおか)」「狭丘(さおか)」。
設置学科 全日制普通科 特別進学コース 総合進学コース
沿革 1941年 - 近藤ちよが洋裁研究所開設 1950年 - 飯能町(現飯能市)に飯能高等女学校を開校。 1960年 - 狭山ヶ丘高等学校として移転・開校 1963年 - 男女共学化 2000年 - コース制開設
教育システム 定期的に朝ゼミという特別講座を開講しており、英語力の向上を図っている。また、特別自習室を設置し、生徒が快適に自習できる時間を確保している。
部活動 通常の部・クラブ・同好会・研究会のほか、特別進学コースの生徒は基本的に入部できない「強化クラブ」がある。
大学合格実績水増し 2007年8月に大学合格実績水増し問題が発覚した。2000年から成績優秀者の大学受験料を負担していた。1人で13大学・38学部・学科に合格した生徒もいる。同校はMARCH187人などと校門脇に合格者名をいれて掲示している。ホームページでは延べ人数を公開しており、MARCHは「前年比140%と急増」とPRしている。2008年も大学受験料負担をしていた。(毎日新聞2008年1月30日付)
主な卒業生 浜谷健司 - お笑いコンビハマカーンのメンバー 黄川田賢司 - サッカー選手(コンサドーレ札幌 川崎フロンターレ) 五嶋貴幸 - 野球選手(三菱ふそう川崎) 工藤雅弘 - グラフィックデザイナー(mehrlicht)
アクセス 西武池袋線武蔵藤沢駅より徒歩15分。 西武新宿線入曽駅・JR東日本八高線箱根ヶ崎駅よりスクールバス。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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